つい最近、内閣府が公開した「満足度・生活の質に関する調査報告書2024」によると、日本人の生活満足度は過去最高で、上昇率も過去最大だったらしい。
まず、この結果に不満が爆発している(いつものネット界隈の)人多数な時点で、(いつものネット界隈においては)調査の信ぴょう性が疑われる。
確かに、満足度過去最高と示すことで、近年の政策が正しかったと主張できるし、満足を多数派にすることで、不満を「少数派の意見」として軽んじることもできる。
しかし数字を改ざんしたり、頭に謎のボルトが刺さっている人にしかアンケをとってないなど、あからさまな操作が行われているかというと、さすがにそうでもない気がする。
私も大概不平不満ばかり言っている方だが、いざ尋常にアンケート用紙と対峙したら、満足、割と満足の2つにマルをつけてちょっぴりオトナになっている気がしてならない。
ネットのお前ら、現実世界のお前ら
私が国が見ていないところでは国の悪口を言うが、いざ内閣府に「どう?」と聞かれたら「万事順調であります」と答える腰抜けであることは否めないが、忖度ではなく、冷静に考えた結果、やや満足と返答してしまう可能性は十分にある。
さすがの私も真面目なアンケートとXの投稿欄に同じ精神状態で向き合えるほどパスりあげてはいないのだ。
そもそも健康な中年が平日の昼間にXに向かい、何か投稿しようとしている時点で尋常ではない。
尋常ではないため、Xでは「見ず知らずの作家の読んだこともない漫画がアニメ化した」ことに本気で不平を言い、それに比べて自分が売れていないことに不満を爆発させるという正常ではない発言をしてしまうのだが、恐ろしいことにXではその異常思考が平常運転だったりするのだ。
つまり、満足度過去最高の調査結果に「そんなわけはない」と感じる者は、Xのおすすめ欄など、不平不満しかない、むしろ「今の生活に満足している」などと言おう者がいたら、間髪入れず引用リプで不快にさせて、一瞬で不満にさせる場所に入り浸っているせいで「この世に満足している人などいない」と思い込んでいるのかもしれない。
そもそもネットは、リアルでは言えない不満を言う場所なのでリアルよりネットに比重を置いて生活している者ほど、世の大半は不満を抱いているようにしか見えなくなってしまうのだ。
だが、おすすめ欄の住人である私でさえ、改まった形で「今の生活に満足か」と問われたら「呪術廻戦より売れてないので不満です」とは答えない。
満足していればいいのか、不満はいけないのか
冷静に考えれば、飢えることなく、屋根のある場所で寝て、外に出ても犯罪に巻き込まれる率が低く、一日62時間Xに向き合える生活は悪くないのではないか、と考え至り「割と満足してる」と答えてしまいそうな気がするのだ。
だが、さらに冷静に考えると「俺が考える最強の満足した生活」が「文化的で最低限度の生活」に肉薄してきているとも言える。
つまり、日本人の満足度が上がっているのではなく、日本人が「満足」と感じる水準が激オチくんしているだけなのではないか。
足るを知っていると言えば聞こえは良いが、国民全体が「自分如き衣食住に困っていないだけで十分」と思ってしまっているだけ、とも言える。
満足度が高いからと言って、日本が良い国になっているとは言えないし、逆に不満が高ければ悪いとも言い切れない。
今の生活に不満ということは、俺様はもっといい生活をすべきだという、向上心、自分や国に対する期待や希望をもっているとも言える。
そういった希望や期待を全て失った時に人は「どちらかと言えば満足している」にマルをつけてしまうのかもしれない。
昔「ブータン」という国が「幸福度世界一」と言われていたが、今は幸福度ランキングに姿がないという。
これは今までブータンが閉鎖的な暮らしをしてきたため「これが幸せなのだ」と思えていたが、国の方針が開放路線に変わって国外の情報が入ってきてしまったり、近代化でメディアやネットが普及してしまったことにより、他国と自国を比べるようになってしまったせい、とも言われている。SNSで港区女子どころか世界中のキラキラ野郎どものキラキラ生活とか見せられたら、それはもう大変イライラすることだろう。
満足度は、何と比較するかでも変わって来る。
往路で強盗にあい、復路で強盗にあう国と比べれば日本の暮らしは満足いくものになるが、社会福祉が充実し、病院学校老人ホーム無償な国と比べれば、日本は不十分な国になってしまうだろう。
つまり、回答者の満足水準、何と比較して満足かが定まっていない時点で、この調査結果から何か正確なことがわかるというわけではない。
面白いのは、この調査には、そもそも回答者自体が偏っているのではないか、という意見もあったことだ。
確かに同じアンケでも、銀座のディオール前とトー横でやるのとでは結果が大きくか変わるだろう。
あらゆる層を調査することでやっと平均と思しきものが算出されるのだが、そもそもこの調査が届き、回答ができている時点で、上澄みの意見しか掬えていない可能性はある。内閣府だから、そんな新聞の支持政党アンケートみたいに偏らないように調査している可能性もあるが、実際、知る由もないところなので、インターネットで回答するインターネット利用率調査みたいな可能性はぬぐい切れない。
よく、ひきこもりや貧困層実態などがメディアに取り上げられているが、メディアに発見され、世に出ている時点で、ひきこもり界のインフルエンサーであり、貧困界の大富豪とも言える。
本当に救いの手が必要な人間ほど救いの手が届く場所におらず、異臭という自己アピールではじめて存在が明らかになるケースも少なくない。
この調査も、真の不満足層に届いていないためこのような結果になっている可能性はある。
果たしてイマドキ「人生の満足度」とは何なのか
ところでこの調査、具体的にどのように満足度が上がっているかというと、年齢別では、高齢者の満足度が一番高く、ついで若年層が高いらしい。
もう高望みする時間も元気もない老はともかく、若の満足度が高いというのは意外である。
ただこれも「ネトフリが見られればいいし、それがダメでもYouTubeがあるならギリ笑顔」など、若者の満足のレベルが低下してしまっているせいもあるかもしれない。
逆に一番絶望している我々中年の方が「俺はこんな生活に満足する器じゃねえ」という野心を持っているとも言えるし、往生際が悪いとも言える。
また、地域別に見ると、三大都市だけでなく、地方圏でも満足度は上がっているらしい。
確かに、数十年前に比べると、都会を羨ましく思うことが各段に減ってきている。
モノに関しては通販により、都会に行かなければ手に入らないものは激減しているし、エンタメもリアルイベントにこだわらなければ配信などで事足りる。
もちろん未だに都会と田舎の格差は大きいが、自分が「どこに住んでいても所詮こんなもの」と思ってしまった瞬間、全ての格差は消え失せる。
やはり「満足度」というのは「諦め度」に比例する、これが高いからと言って良い国になっているというわけではない。
満足度過去最高は「諦め度過去最高」とも言えるのだ。