2月初旬、経済財政諮問会議で、定年年齢を70歳まで引き上げた場合の経済効果に関する議論が始まった。その結果、就業者が217万人増え、消費は4兆円増加し、社会保険収入も2兆円は増える、という「明るい未来」を示す試算が出たそうだ。
我々が70歳まで働かねばならないという前提の時点で全く明るくないのだが、国民が暗くなる分、国の財政は明るくなる、ということである。
70歳まで働けば、それだけ年金保険料を納める期間が長くなり、逆に年金給付の期間は短くなるため、年金問題も改善される。お前らの年金は、お前らが老人になってからも働いて解決しろという、本末転倒、良く言えば逆転の発想だ。そして就業人口が増えれば、金を持っている人間も増える、つまり消費も拡大するという寸法だ。
この試算についてはすでに識者から様々なつっこみを受けている。
まず「誰も70歳まで働きたいと思ってねえ」というのは、識者じゃなくてもわかる。現時点でも、働いている高齢者の働く理由を調査したところ半数以上が「生活のため」と答えてたという。
つまり生きがいや健康の為に働いている者は少数派であり、働かないで済むなら働きたくないのだ。私など二十代の時から働かずに生きたいと思っていたのだから、高齢者がそう思うのは至極当然である。
つまり、日本は、高齢者を支える体勢が出来ていないのに寿命だけが勝手に延びてしまったため、70歳まで働ける社会ではなく、70歳まで働かないと国ごと転覆する社会、になりつつあるのだ。それを前向きな変化と評するのはドM国家すぎるのではないか。
そして、高齢者たちが働きたくないのはもちろんだが、企業だってそんなに高齢者を積極的に雇いたいとは思っていないのだ。労働力として若い方が良いのは当然として、雇用期間が長くなるほど、給与支払や会社の社会保険負担の額が増える。つまり、定年が延びれば延びるほど企業の負担が増えるのである。
企業としては、日本の老に高い給与を払い続けるよりは、海外の若を安く使ったほうが良い、というのが本音ではないだろうか。
それに、「最近の高齢者は元気」と言っても、やはり若者よりは肉体的に衰えている。現場が高齢者だらけになると、逆に生産性が落ちたり、最悪事故が頻発したりするようになるかもしれない。
若者に足手まとい扱いされながらも無理して働いて、労災に遭うというのは、明るい老後とは言えない気がする。
人生100年、計画性がないと老後詰む時代
このように、多くの企業では歓迎されないと見られている定年70歳制度だが、70歳と行かないまでも、定年の延長をすでに取り入れている企業もある。代表的なのが「トヨタ自動車」である。だがこれは、「ただし技能系社員に限る」制度のようだ、自動車製造はオートメーション化されているようで、意外と人間のテクによるところが多く、その技能を持った人材は常に不足しているのだ。
つまり、老になってもスキルがある人間は企業にとっても惜しい、ということである。70歳まで働かなければいけない世の中では、今まで以上に「手に職」が大切になってくるということだ。
人生100年時代というのは、寿命が長いからゆっくりできるわけではなく、相当若いころから人生設計を考えていないと老後詰む時代、ということである。早めに絶対なくならない業種の資格を取るか、これからアツくなりそうな業界の勉強を始めるという先見の明も必要となってくる。これから激アツになりそうなのは葬儀関係だが、残念ながら葬儀業に必須となる国家資格はないようだ。
「全員が70歳まで働けば国は良くなる」という政府の試算も楽観的だが、我々も70歳まで働けるんだからいいや、と思うのはスイートすぎる。たとえ全ての企業が定年を70歳まで引き上げたとしても、自分に70歳まで働ける身体があるかはわからない。
一言で70歳と言っても、まだまだ働けそうな二十歳くらいに見える70歳もいれば、明らかな「秒読み」段階に入っている、とても働くどころではない70歳もいるのだ。
老化やそれに伴う病気などは誰の身にも降りかかることだし、運要素も強い。それを「70歳まで働ける身体を作っておかなかったのが悪い」という、凄まじいロングスパンな自己責任を求められる国はどう考えても明るくない。
やはり、どれだけ長く働くかより、体も頭も動くうちにどれだけ準備できるかの方が個人にとって重要だろう。
などと論じたててみたが、私は無職なので企業の定年が何歳になろうと関係ない。この長寿時代、定年がない自営業やフリーランスの方が強いと言われることもあるが、70歳どころか年齢問わず、明日仕事がないかもしれないのがフリーランスだ。
つまり失う仕事すらない「無職」が最強なのだが、少なくとも定年まで働けるという点では会社員という立場には大きなメリットがある。
ただそのメリットに気付けるのは、大体「失ってから」である。