「ツイッター漫画」というものをご存じだろうか。ツイッターをやっている人なら、タイムラインに短い創作漫画が流れてきたことが一度くらいはあるだろう。
ツイッターの性質上、あまり長いページ数は載せられないため、大体4ページくらいで一区切りついており、ページ数が少ないが故に、その設定は出オチと言って良いほど斬新かつ簡潔なものが多い。
そういったツイッター漫画は、「○○が××する話」というタイトルをつけられていることが多い。こうすることにより、どんな内容か一発でわかる上に「ナンバーガールが再結成する漫画だって!? 気になる!!」などと、ツイートを見た人の興味を引くことができる。
様々なものが流れてくるツイッターでは、まずは何より人の目を引き、その上で内容を読むまでに至らせないといけないので、タイトル付けが非常に重要なのだ。その点で、「○○が××する話」という定型は実に良くできている。
最近、その「○○が××する話」が物議を醸したのだそうだ。
実は私もこのツイッター漫画には腹が立っていたので「やっとか」という気持ちである。
何故なら1万リツイートとかされているツイッター漫画を見かけると、瞬時に「この漫画はこのまま書籍化し100万部売れてアニメ化するに違いない」とまで考えてしまうからだ。そうなると「汚ねえぞ!」と謎の義憤に駆られてくる。
よって今回、「○○が××する話」に憤った人がいると聞いて「わかる」と思ったのだが、その怒りは私とは全く別方向のものであった。
漫画は「自然に」売れない
そもそも「○○が××する漫画」は、プロではないアマチュア作家がやりだしたことだとされている。しかし今回物議を醸したのは、アマチュアではない商業作家が、ちゃんとしたタイトルがある自らの連載作を、「○○が××する話」というツイッター漫画の体で発表し、後から「実はこの漫画はこういうタイトルの商業作品です、気にいったら買ってください」とコメントした、つまるところ著作の宣伝に使った行為である。
もちろん漫画自体は本人が描いたものであり、違法性は全くない。つまりこのツイッター漫画形式を使った漫画家の宣伝ツイートに物申している人は、怒っているというよりはその行為に「モヤモヤしたものを感じている」と言った方が良いだろう。
まず、ちゃんとしたタイトルがある商業作品なのに、それをあたかもツイッター発の「ツイッター漫画」作品のようにして発表されたことに「騙された」と感じた人がいた、ということだ。
また、アマチュアがあげた漫画がツイッターでバズり、そこから商業化されるのが今までの定石だった。そのため、プロがその手法を宣伝に使う行為に違和感を持ったというのが、主なこのモヤモヤの正体ではないかと言われている。
これに対しては、自分が描いたものを、しかも無償で公開して何が悪いと擁護する意見も多い。だが、私は「同業者のサクセス」というもっとさもしい理由でツイッター漫画に怒っている人なので、「モヤモヤした」人の感覚も否定することはできない。
とはいえ、宣伝漫画苛立ち派の中には「○○が××する話」に限らず、漫画家がSNSで宣伝に奔走する行為自体が嫌な人も含まれているような気がする。そういう人は「面白けりゃ宣伝なんかなくても売れる」と思っているため、作家の宣伝を「面白くない作家の見苦しい悪あがき」と捉えてしまうのである。
しかし作家の立場から言わせてもらうと、どれだけ不愉快に感じ嘔吐する人がいても、SNS上での宣伝をやめることはできない。この出版不況なご時世、作者自身が宣伝しないと、そういう漫画が存在していることすら誰にも知ってもらえないことはザラにあるからだ。SNSは宣伝費をかけずに、上手く行けば作品のことを広く知らせることができる一攫千金ツールなのである。
面白い漫画は自然に売れるというが、いくら面白くても風に乗って広まることはない。口コミで広がろうにも、まず発信源である最初の数人に知られるための宣伝は必要なのだ。
しかしSNS上での宣伝に本当に効果があるかどうかは未知数であり、「場合による」としか言いようがない。
私の妄想通り、ツイッターでバズり単行本が100万部売れアニメ化するものも存在するが、ツイッターではバズったが書籍化したらそうでもなかった例もあるようだ。私も自分の著作のコマの一部がツイッターでバズったことはあるが、それで単行本自体が売れたかというと、今のところ手ごたえを感じたことはない。
だが「ツイッターでバズったことにより売り上げが下がった」ということは、よほどの大炎上でなければないだろうし、数字には出なくても、ツイッターでバズれば「とりあえず知ってもらう」ことができる、これは非常に重要なことだ。
よって、今の作家は「嘔吐する」と誰かに批判されても、そういう人には「それは失礼つかまつった」と言って、嘔吐せずに買ってくれる人に向けてSNSで宣伝をしていくべきだろう。
そうしないといずれは餓死し、宣伝よりももっと見苦しい「死体」をさらすことになる。