「貴様は24時間働けるのか?」

かつて、この問いに「NO」と答えるとリゲイソの瓶で喉笛をかき切られる時代があった。

だが時代は変わり、現在そんなことを言おうものなら労基に「刃物の使い方がなってないね」と体を背後から三六文字に切り裂かれるようになった。

このように「労働」の歴史は全ページ血塗られているため全く読めないのだが、暴力と殺戮しかなかったことだけはよくわかる。

一刻も早くこの呪われた歴史に幕を下ろすべきなのに、未だに社会は労働と決別するのではなく「働き方を変えれば良いのでは?」などと、頑なにDV野郎との再構築を勧める離婚調停員のように、労働と上手くつきあえ、協力はする的なことを言ってくるのだ。

そんなわけで「働き方改革」と称し、労働時間の短縮、さらに勤務形態の多様化を進め「誰でも無理なく働ける社会」を作ろうとしているのが現在だが、あと何枚紅に染まったページをめくれば「誰も働かなくて良い社会」というホワイトページが出て来るのか、それだけ教えてほしい。

もちろん働き方改革により改善した点も多いとは思う。

しかし、改善したのは、元々十分な人員を確保し労働時間を減らしても仕事が片付くシステムを構築できているホワイト企業なのである。

逆にブラック企業はノー残業や有休消化などを形だけ守らせようとして、ノー残業デーの前後日徹夜や仕事の持ち帰り、有給を盆正月にぶつけて爆散させるなど、黒さに磨きがかかっただけ、というケースもあるようだ。

ウソみたいだろ。フリーターが憧れの「新しい働き方」だったんだぜ。

さすが悪しか栄えたことがないでおなじみの労働だ、どれだけ時代と法律が変わってもちゃんと栄えてくれている。

そんな労働が最近バイト界でも栄えているらしく、久しぶりに新語も生まれたという。

バイトにまつわる言葉と言えば「フリーター」が、10年前のことを最近という中年の記憶に新しいところだ。

フリーターは、定職につかずアルバイトで生計を立てる人のことであり、今では信じられないかもしれないが、登場したころは「新しい働き方」としてもてはやされていたのである。

しかし実際のところフリーターは不安定な働き方であり、若いころは良いが年を取ると詰む生き方として定着しており、「若いころフリーターで羽振りが良かった友人が年を取って没落していくコピペ」は、会社員の精神を安定させる薬として今でも流通している。

しかし、フリーターの若者が全員目先のことしか考えてなかったわけではなく、就職氷河期など、いくら定職につきたくてもつけず、若いころをフリーターとして過ごさざるを得なかった者も多い。

若者というのは常に世相を反映しているので、最近の若者の動向は、つきつめれば最近の若者を作った世相を作った我々老のせいとも言える。

今回現れたバイトの新語もかなり世相を表している。

「バ畜」

この言葉を聞いて、とりあえず食い物を思い浮かべたデブと、バ美肉的なものを思い浮かべたオタクは合格なので帰っていい、お前らは結構楽しい人生を歩んでいるので問題ない。

  • 若者の新語「バ畜」があらわす令和の世相、平成よりはマシなのか?

    日本ではローマ帝国の市民みたいな人が増えてるのかもしれません

ブラック企業農場の作物にならないようにね

「バ畜」とは簡単に言えば「社畜」のバイトバージョンであり、無理な連勤や長時間労働など、学業や生活よりバイトの方を優先してしまっている者のことを指す。

ただバ畜とは、ブラックバイトに労働を強いられている状態ではなく、社畜と同様に「自ら進んでバイトに時間を割いている者」のことを指すそうだ。

しかし「14連勤で睡眠2時間のバ畜でマジつれーわ」と、懐かしの地獄ミサワ風を吹かせるためにバ畜をやっている人間は少ないはずである。

ブラックバイトとバ畜は違うと言っても、社畜が育つのは常にブラック企業農場なのである。やはりバ畜も人手不足により、バイトを酷使するブラックバイトが増えたことにより生まれた言葉だろう。

そもそも人間を「自ら進んで労働をする」という異常な精神状態に追い込んでいるのは、間違いなく異常な職場環境である。

今のご時世、もう正社員に無理をさせるといろいろ問題になるので、正社員よりも権利が弱いバイトに無体の矛先が向いた、という可能性もある。

また物価の上昇などにより、単純にそのぐらいバイトをいれないと生活が成り立たない、という背景だってあるのかもしれない。

古代エジプトから続く「最近の若者は…」の伝統すら途絶えかねない

バ畜が社畜よりある意味深刻なのは、本来学業に専念すべき学生が、バ畜化することにより、勉強がおろそかになり、就職ができなくなるという悪循環である。

特に、奨学金を借りる学生は、生活費のためにバイトに明け暮れざるを得ず、結局学校も卒業できず奨学金という名の借金だけが残るという全損が問題視されており、バ畜という言葉の誕生は問題が加速していることを示しているのではないか。

しかしバ畜化して、学業がおろそかになり就職を逃したとしても「学業に専念すべき学生時代にバイトばかりしていたお前が悪い」という話になってしまうのだ。

このような世の中なため「最近の若者はなってない」の代わりに、「最近の若者は大変だ」という新しい老の繰り言が生まれている。

実際、現在の若者の方が大変か、というと、ずっと景気は悪いし、生き方が多様化した分、人生の落とし穴も多様化し、穴へのアクセスも良くなっているため、ある意味では昔より確実に大変だろう。

しかし、時代が新しいほど、技術が発展して便利になっている、というのも事実である。

いくら、景気が良く格差がなかったと言われても、縄文時代の方が良かったとは思わないだろうし、私もいくら好景気でもネットがなかった時代には戻りたくない。

しかし、新しい技術の便利さを享受するには、新しいものについていかなくてはいけない。

それができなくなった時、人は「昔は良かった」と言い出すのだろう。