みんな大好き「イグノーベル賞」が今年も発表された。

イグノーベル賞とは、その名の通りノーベル賞のパロディだが、絶対ノーベル賞候補にはならない変わった研究に与えられる賞である。

“ノーベル賞そっちのけ”の研究が選ばれがちな「イグノーベル賞」

  • イグノーベル賞受賞者の「発想」は確かに常人離れしたものがほとんどです

昔は意味不明な発言を繰り返す当時のアメリカ副大統領に「教育の必要性を誰よりもよく論証した」として「教育賞」を授与したりと皮肉色が強かったが、現在はノーベル賞に「俺に興味がないなんておもしれー研究」と言われるようなものがイグノーベル賞に選ばれているような気がする。

どのようにおもしれー研究かというと、「ヒトの凍った大便から作ったナイフが機能的ではないことを実証したことに対して」や「無線操縦ヘリコプターを駆使してクジラの鼻汁を採取する方法を極めたことに対して」などが過去に受賞している。

このように一体何の意味があるのか、そもそも何でそんなことを思いついちゃったのか、もしくは下ネタでしかない研究に対しイグノーベル賞は贈られる傾向がある。

しかし、世界から戦争をなくせばノーベル平和賞は間違いないだろうが「戦争をなくせば平和になる」という発想自体は誰でも思いつく凡庸なものである。

それに対し「ヒトの凍った大便から作ったナイフが機能的であるか?」という疑問は誰でも持てるものではない。

エジソンも「天才とは99%の努力と1%のひらめきだ」と言ったとか言わないとかだが、大便を見てナイフを連想する奴は1%に満たない、という意味で、これは「1%のひらめき」と言っていいだろう。

またノーベル賞を受賞しているのは、今後人類の役に立つ研究である場合が多い。「人類の未来のため」と思えば行動力も高まるしモチベーションも維持できるだろう。

しかし、ヒトの凍った大便から作ったナイフの機能性の研究で得られる未来とは一体なんなのか。

たとえ「メチャクチャ切れる」という結果が出たとしても、普通のナイフの代わりに大便を凍らせたナイフを料理に使うかというとNOであり、今度は「大便を凍らせたナイフへの抵抗感をなくす研究」が必要となってくる。

(編集注:大便ナイフは「イヌイットが凍った大便をナイフにして獲物を切っていた」という通説が本当か検証するための研究だったため、過去の事実確認には役立っているようです)

このようにイグノーベル賞を受賞している研究は、やる前から行き止まり確定なものもかなりある。一寸先はダンサーインザダークとわかって進む行動力、勇気、そしてそれをやり遂げる強い意志に関してはもはやノーベル賞超えと言って良いだろう。

また、イグノーベル賞がノーベル賞に勝っている点といえばやはり「狂気」である。人が最も残虐になれるのは悪になった時ではなく自分を正義だと思い込んだ時だ、というように人が真の奇行を見せるのは、ふざけている時ではなく真面目な時なのだ。

イグノーベル賞も研究内容だけ聞くとふざけているように見えるが研究者たちは至ってマジな場合が多く、それがたまに怖いのだ。

今年「狂気賞」として、Xでも話題になっているのが機械工学賞を受賞した「死んだクモを機械的クリッピングツールとして蘇らせて使用することに対して」である。

「コモリグモという仲間のクモを低温で『安楽死』させ、死体の胴体に針を刺して固定。体内の圧力を注射器で変化させることで、8本の脚を開閉させ、ものをつかむための器具として活用する方法を発明した」そうだ。つまり、クモの死骸を丸ごとUFOキャッチャーのアームのように再利用したということである。

プラスチックと違い自然に分解される素材なため「自然に優しい」ことがセールスポイントであり、動物の骨を道具にしたり毛皮を服にした例はあるが、死骸を丸ごとロボット部品にしたのはこれが初めてであろう、と研究チームは誇っているという。

普通に怖いが「研究の先が行き止まり」というのはこちらの主観であり、研究している側は何らかの未来を見据えていることが分かってよかった。おそらく大便ナイフにも我々には見えない未来があったのだろう。

そして今回「イグノーベル賞のくせに未来がイメージしやすい」として話題になったものがある。

受賞したのは明治大学の宮下芳明教授らが開発した「味が変わるスプーンとお椀」であり、食器を通じて食材に電気を流し、塩味を1.5倍感じることができるようになるそうだ。

この技術により、塩分を制限しなければいけない人でも濃い味付けの料理が楽しめるとして、すでに商品化も進められているという。

確かに、面白い上に有益な研究だが、イグノーベル賞っぽくない感じもする。スプーンではなく人間の方に電流を流して味変する装置の開発であればもっと高評価が得られたであろう。

ちなみにイグノーベル賞の受賞は不名誉だとする研究者や国も当然あるが、イギリスや日本では比較的「名誉」として受け取られているという。

研究者というのは、何らかの分野の「オタク」である。

「まあ拙者の場合ハルヒ好きとは言っても、いわゆるラノベとしてのハルヒでなくメタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwww」

という神コピペがある通り、やはり日本のオタクは「変わり者」と言われるのが好きなのである。