「そろそろ誰が一番生きづらいか決めようぜ」
そう宣言すると老若男女が続々エントリーしてくるヘルジャパンへようこそ。
この世にイージーモードの人生など存在しない、金持ちの美人に生まれたとしても、悩みがない、なんてことはない。
そう思いたいが、何せ金持ちの美人になったことがないのでやはりイージーモードな気がする。よって美人の金持ちがどんな苦痛を吐露しようと「でも美人で金持ちなんだからいいじゃん」と一笑に付していく、ヘルジャパンへようこそ。
誰もが個々の悩みや生きづらさを抱えており属性で括れるものではないということは承知だが、あえてバイオレンスにまとめてみると、優勝候補としてまず挙げられるのは「若い女」ではないか。
若い女はちやほやされるという言説もあるが、そうだとしたら「一挙一動注視される」ということでもあり、この時点で他人の目を過剰に気にして生きることを余儀なくされているともいえる。
ちょっとニッチな趣味をひっそり楽しみたいだけなのに、それが若い女と見るや「〇〇女子だ!」と指をさされ変な注目を浴びせられ、いつの間にかミーハーで場を乱す存在にされていることもある。
また、若いと言う時点で社会的地位は低いことが多く、腕力的にも男に劣ることから、弱者として様々な悪意のターゲットになりやすい。
「BBAになって楽になった」という中年女性が多いのも、BBAが楽なのではなく、若い女がハード過ぎたのでは、という説もある。
そんな圧勝ムード漂う中、待ったをかけるのが「おじさん」である。
おじさんと言えば若い女を生きづらくしている筆頭ではないか、と場内はブーイングの嵐だが、このイメージこそがおじさんの生きづらさだろう。
おじさんはおじさんというだけで、年長らしさを出すと「老害」、若者について行こうとすれば「若に媚びていてキモイ」など、「何をしてもキモがられる」マイナス補正スキルをつけられてしまう場合があるのだ。
また「今の不景気で生きづらい世の中を作ったのは今のおじさんのせい」という巨大仮想敵にされてしまうこともある。
確かに昔の政治のせいであることは否めないが、おじさん個人に「世界を悪に染める」という大魔王のような力はない。
また「子供」「女性」「老」は「弱者」として認識されているが、おじさんは同じレベルで困っていても弱者とはみなされず、同情もされなければ助けの手も差し伸べられない、という意見もある。
やはり、各々が生きづらさを抱えている、むしろ「俺の方が辛いし辛いのはあいつらのせいだ」と相打ちしあって辛さが倍増している気がする。
みんな辛いのだ、辛くない人間などいない。しかしあのインスタグラマーは辛そうに見えないので誹謗中傷で辛くしてやりたくなる、ヘルジャパンにようこそ。
エアポートおじさんの危機、羽田空港のルール掲示に波紋
そんなわけで、属性問わず辛い世の中だが、最近またおじさんが辛くなるような規制がされかけたらしい。
羽田空港の第1・第2ターミナルを管理する日本空港ビルデングが「ビル内で一般人が大衆公開を目的に撮影をする場合は三営業日前に申請して許可を取れ」という旨の発表を、SNSと自社サイトで行い話題となった。
つまり私が「おらが村には存在しない有名店です」と、あの妙に端っこにあるサブウェイの購入物をロビーで撮影してTwitterに上げたいと思ったら、3日前に許可を取っておかないといけないということだ。
もはや誰もがやっているであろう行為に対する突然の厳しい規制に反発も大きく、「その投稿は羽田空港の許可を3営業日前に取っているのか?」とTwitterらしさを出した全面に出したツッコミも散見されたという。
これに対し日本空港ビルデングは、投稿内容を「営利目的の撮影」にサイレント修正。大人数で長時間の商業的撮影は一般客と揉める原因になるので、それを規制したかったとのことだが、最初の投稿が明らかに一般客を含む規制だったため、こっそり修正したのも相まって、騒ぎになったからそういうことにしたのでは、という見方も強い。
現在、撮影に関しては規制より解禁に舵を切る施設の方が多い。博物館や美術館など昔であれば撮影などしたら一家末代まで呪われても文句は言えぬと言われた場所ですら、一部撮影を可にするところが増えてきている。
それだけ一般客のSNS投稿の集客効果は無視できないものになってきているのだろう。
そんな時代に限定的ではなく、詳しい説明もなく全面的に撮影を制限するような投稿をしたのは不用意だったと言えるかもしれない。
ちなみになぜおじさんに辛い規制かというと「SNSなどに空港の写真を載せて自分語りをするのは主に40代以上の男性」だからだそうだ。
これらの男性は「エアポートおじさん」と呼ばれ、この撮影許可制が仮に実現したら、エアおじにとって悲報であるということである。
周囲に迷惑をかけるインスタ女子がごく一部であるように、エアポートおじさんだって「自分語りが全部声に出てしまっている」など迷惑をかけているタイプはそんなにいないだろう。
特に迷惑をかけているわけではないのに、ひとまとめにされ、痛い人扱いされるというのは、女子やおじさんに共通する生きづらさの一つだろう。
今後、たとえ悪意があろうがなかろうが「〇〇女子」や「〇〇おじさん」という言い方は慎んでいくべきなのかもしれない。
しかし、使い勝手が良いせいか自分でも無意識のうちに使っていることも多く、さらに「アイカツおじさん」などポジティブな意味もなくはないのが悩ましいところである。