1月4日、「新元号の発表は4月1日」に行うと決定したそうだ。つい最近である。

天皇が生前退位すること自体はもう1年以上前から決まっていたし、当初は「新元号発表は新天皇即位の半年前ごろ」と言われていた。つまり、昨年11月頃には新元号が発表されているはずだったのだが、いつ発表するかさえ、結局は年を越すまで決まらなかったのである。

何故そんなに延びてしまったのか、そこまで新元号を決めるのに揉めたのか。

確かに元号は、これから我々が数十年間も日常生活で使っていく物である。「高輪ゲートウェイ元年」とかでは恥ずかしいし、何より長い。これでは、エクセルで言うと、画面ではちゃんと見えているのに印刷すると「#####」になっているという、事務職を一度は破壊神に変えるあの事故が頻発してしまう。

しかし、今回の新元号発表の大幅な遅れは、それ自体を決めるのに揉めたわけではなく、いつ発表するか、またいつ改元するかで、内閣の中で意見が分かれたのが原因と言われている。「できるだけ早く発表して現場の混乱を抑えよう派」と「伝統を重んじた方が良い派」が割れてしまったのだ。

「前回」と「今回」、「伝統」と「実務」

ところで、元号が昭和から平成に変わった時のことを覚えているだろうか。平成生まれは帰っていい、散れ。

私は当時6歳で、鼻水で袖にパリっとしたノリが効いている保育園児だったのだが、昭和天皇が崩御した時のことはよく覚えている。何故なら、園児が一同に集められ、その時のニュースを見せられたからだ。

今思うと「園長に何らかの思想がある保育園だったのかな」と思わなくもないが、いつもはアニメや人形劇を見せてもらえるのに、突然難しい顔をしたおっさんが難しいことを言っている映像を見せられ、多いに困惑したのをよく覚えている。

そして新元号「平成」が決まった時のことも覚えている。「へいせいだって! へ―せい! 屁だって! 」と笑い転げていた自分を記憶しているからだ。世が世なら不敬罪で斬首だろうが、6歳児の言う事なのでご容赦いただきたい。

このように新元号が何であれ、文句をいう奴は言うし、保育園児は爆笑するのだから、どれだけ時間をかけて考えても、万人を納得させるのは無理なのである。

ここで重要なのは、元号が平成に改められた日付だ。1月7日の早朝、昭和天皇が崩御したとの報があり、同日10時に現天皇が即位。そのあと新元号「平成」の発表があり、1月8日午前0時から「平成」となったのである。

それ以前、天皇が国民の象徴になる前は、元号は天皇が決めるものであり、ひとりの天皇が何回も元号を変えることもあったという。現代だったら、印刷所の社員やシステムエンジニアが一揆を起こしかねない。

何にしても、前例通りに行くなら新天皇が即位してから新元号を発表するのが筋であり、その前に発表しちゃうのは「伝統」を軽んじることになるという、というのが内閣保守派の意見である。

私が今も無職ではなく、事務員をやっていたなら「伝統とかいいから早く決めてくれ」と思うだろうし、事務に使うシステムを作っているエンジニアなら尚更そう思うだろう。

まだコンピューターもろくに普及していなかった昭和から平成に変わる時と今とではワケが違う。「前イケたんだから今回も大丈夫」などということは絶対にないのだ。国民の生活を第一に考えるなら、早めに発表して準備期間を長くとるに越したことはない。

しかし、利便が全てで伝統などどうでもいいとなると、マッドマックスに出てきた武装ババア集団が、ハーレーで土俵に乗り込んでも相撲のルール的にOKとなり、無法地帯化、文化の崩壊につながる恐れもある。伝統が大事という意見も完全に無視はできない。

このように「時代の流れ」と「昔からある伝統」の兼ね合いは非常に難しく、一概に「とっとと新元号発表すればいいのに」とは言えない。だが、ここまで延びてしまったのは、内閣が足並みを揃えられなかったからという「内輪もめ」のせいだ。

そのため、SE界では「俺たちが4月1日から寝なきゃいいんだろ!」という呆れの域に達しているというし、どうがんばってもすでに手遅れなカレンダーや手帳業界は、逆に「もう全社手遅れなんだからいいや」と落ち着きの域に入っているという。

そもそも、現天皇が早めに生前退位を決めたのは、国民の混乱を防ぐ意味が大きかったのではないだろうか。

増税の件といい、もしかしたら、「早めに国民に怒りを通り越させる」というのが最近の政治手法なのかもしれない。