「チキンレース」をご存じだろうか。
鶏肉を遠くに投げたり、からあげさんをぶつけ合ったりするような愚かな競技ではない。別々の車に乗った二人がお互いに向かって一直線に走行し、先にハンドルを切って逃げた方が負けというもっと愚かな競技だ。
言うまでもなく、このレースはお互いが本物の勇者であればあるほど死ぬのである。
世界には自らの愚かな行為で命、または生殖機能を失った人間に贈られる「ダーウィン賞」という不謹慎極まりない賞がある。
過去の受賞者の中に「男気を示すためにチェーンソーで自らの首を切り落とした」という度胸が過ぎる人がいるように、勇気というのは愚かと紙一重、そして勇敢であればあるほど自分の命を脅かすのである。
逆に言えば、臆病は自分の命を大事にしているということだ。
家族、特に一家の大黒柱が自分の命を大事にせず、毎週末チキンレースに興じているというのは他の家族にとって脅威でしかない。
たとえ柱を食っている蟻ポジでも、謎の多額保険金がかけられている場合を除いてチキンレースで死なれたら家族は迷惑である。
つまり比較的安全な国である日本において、家族を守るのは勇気ではなく臆病さなのだ。
小さな家事をめぐる家庭内チキンレース
しかし、日本のチキンレースの大半は守るべき家族の間で行われていることが多い。
トイレットペーパーや麦茶、その他家庭内で補充が必要なものは「最後に使い切った人間」が行うのが暗黙のルールである。
その最後に使った者にならないよう、トイレットペーパーを一巻き、麦茶を3ミリ残すなどのテクニックを競うのが家庭内チキンレースだ。
だが、家族全員がチキンレーサーとしてやる気満々で、どれだけ少ない紙量でケツを拭ききるか日々研鑽を積んでいるならよいが、大体だらしない方が一方的に勝負を挑み、几帳面な方が取り換えるという構図になっている場合が多い。
当然几帳面側の不満がたまっていくので、カップルの場合、こういった行為の積み重ねが終わりのはじまりになったりする。
我が家も終わりがはじまっている家庭であり、常に私が昔のポケモソのように勝負を挑み、配偶者にトイレットペーパーや洗剤を補充させていた。
そんな私でも唯一勝てない勝負がある。
それが「炊飯器」だ。
我が家では料理は私の担当である。逆にそれ以外何も担当していないのだが、自ずと食品の管理は私になるので、どれだけ炊飯器に米を一口分残そうと、誰かがその始末をやってくれるということはない。
私は根っからの勝負師なので、「現在の自分VS5時間後の自分」のカードを組むことも多いのだが、なぜか毎回自分が米を研ぐ羽目になっている。
炊飯器の機能も昔に比べれば大分進化している。しかし「米を計量して研ぎ、炊飯器にセットする」の部分だけはずっと人力であった。
そこを自動化せず、他の機能ばかり進化させるというのは、全身シャネルだが風呂には入っていないのと同じである。こちらとしては、これ以上シャネルのアイテムを増やすより、まず風呂に入ってほしいのだ。
それを長らく無視してシャネルのブーメランなどを装備してきた炊飯器業界だが、この度ついに「入浴」に踏み切る革命児が誕生しつつあるようだ。
自動で計量してくれる炊飯器が話題、でも「補充」するのは誰?
その名はパナソニックが開発した「自動計量IH炊飯器 SR-AX1-FS」、現在商品化に向けてモニター購入者を募集中だそうだ。
この炊飯器は、付属のタンクに米と水さえセットしておけば、自動で計量、炊飯までやってくれる。さらにスマホで遠隔操作可能なため、「炊飯器をセットし忘れて外出」をしても安心である。
また、外出後に気が変わり「今夜は絶対ナン」となった時は、外から炊飯を中止することが可能。かつ、炊く米の量を変更することもできる。
一見便利なように見えるが、おそらく家庭内チキンレーサーの人はすでに「結局タンクに米と水をセットするのは自分」ということに気づいてしまっていると思う。
一度に水を100ガロン、米を1トンセットできるため、一度補充すれば一生補充の必要がない、というなら別だが、タンク自体がそんなに大きくなく、水は痛むのを防ぐため、大量には入れられない仕様になっているようだ。
チキンレース界隈では「製氷機」も代表的な種目になっており、たとえタンクに水を入れれば自動的に氷を作ってくれる冷蔵庫でも「誰がタンクに水を入れるか」で日々バトルが繰り広げられている。
よって、この自動計量炊飯器も、まず水と米をセットするのが面倒という話になるだろう。
ちなみに現在研ぎ機能はなく、無洗米しか使用できないようだ。つまりその名の通り、この炊飯器で省略できるのは計量のみである。
まだまだ我々レーサーのお眼鏡に叶う機能とはいいがたいが、これからも自動炊飯器の開発は続けてほしい。
だが、どれだけ便利になっても、タイマーは誰がセットするのか、スイッチは誰が押すのか、誰が米を買うのか、など新たな競技が開始されることは目に見えている。
我々レーサーの戦いはまだ始まったばかりなのだ。