今回のテーマだが、「カレー沢が選ぶ今年の10大ニュース」だそうだ。
世界一社会と関わりがない職業である「無職」によくそんな質問するな、と思うが、それは「社会派無職」の方に失礼だった。私が社会に関係ないだけだ。
そんな、社会に関心がないというよりは社会にシカトされている自分なので、今年の10大ニュースどころか、「今年起こったことを10個言え」と言われても出てこない。むしろこのコラムだけが唯一の社会との接点であり、これがなかったら来年平成が終わることも知らなかっただろう。
よって、まず今年起こったことをネットで調べてみたのだが、「知っている人が何人も死んでいる」という印象だ。だがこれは「今年はよく人が死んだ」というわけではなく、ただの加齢現象だ。
若いころは、有名人の訃報を聞いても、自分が生まれる前に活躍した俳優さんだったりする。なのでニュースを見ても「だ、誰や」と思うことが多かったが、年を取るにつれ「自分もテレビでよく見てた人」が亡くなることが増えてくる。
これからは、もっと「知ってる人が死ぬ」ことになるだろう。そして、同時に若い人が「だ、誰や」となっているのを見ることにもなる。二重に寂しい現象である。
特に衝撃だったのは、漫画家のさくらももこさんの訃報だ。さくらさんは、何を隠そう、私が漫画家を志すきっかけになった人だ(隠すも何も、誰も興味がないと思うが)。今こうして書いている文章にも大きな影響を受けている。
彼女がいなかったら、私は今頃無職の引きこもりだったかもしれないのだ。つまるところ何も変わっていないが、さくらさんが「いる」のと「いない」のとでは、私の人生には、私にしかわからない大きな違いがあったのである。
"無職"から見た今年の天変地異
そして今年は「夏がすごく暑かった」ことが記憶に新しい。
と言いたいところだが、私はその時すでに無職だったため、言うほど「今年の暑さ」を感じていなかったりする。これは無職というか「引きこもりあるある」なのだが、ずっと家にいると、日本と言う四季がある国で生活しているにもかかわらず、季節感が消滅するのである。
空調のおかげで気温の変化を感じないのはもちろん、景色を見たり、外の空気に触れたりしないので、一年すべてが「自分の部屋」という季節になってしまう。ちなみに「自分の部屋」という季節の特徴は「多湿」「臭い」である。
しかし、今年はあまりにも暑く、水分を取るとか塩分を取るとかチャチなものでは追い付かず、もはや一番の熱中症対策は「外に出ない」ことだと言われるほどだった。つまり「自分の部屋」は最も健康に良い、最強の季節ということが実証された年ということだ。
だが、必ずしも「自室最強」と言い切れないこともよく起きた。今年の漢字が「災」になるほど、災害が多かったのである。災害時に大事なのは「早めに動く」ことである。たとえば洪水の避難勧告が出ても「自室最強説」を頑なに守り続けたら、「LOSER」のPVの時の米津玄師みたいになる。
このように日本は災害が多い国なので、早い行動と備えが重要だ。一つ有益なことを言うと、「ふるさと納税」の返礼品に「防災袋」を用意している自治体がある。節税にもなり災害への備えもできるので、来るかどうかわからない災害のために備えるのがもったいないと感じる「気づいたらLOSERのPVになっているタイプ」は一考してみてはどうだろうか。ちなみに私は未だに何もしてない。
人からやる気を奪う社会
そういえば、この連載自体も今年始まったものである。今まで何を書いたかはもちろん全部忘れたが、一番反響があったのは、初回の「東京医大不正入試事件」だったという。
女子受験者の点数を一律減点していたという衝撃的なニュースだったのだが、このニュースは未だに続報が出続けている。採点をし直したところ101人が合格ラインにあったことが判明。その内の入学希望者49人を在校生含めて改めて合否判定し、44人を入学、5人を再度不合格にしたという。
この5人の方は今どんな気分だろう。ちゃんとご飯を食べられているだろうか。そもそも、大学側がこれだけのことをしたのに、なぜ全員合格にしないのか。どれだけ頑張っても教室にあと5人を入れることができないという物理的問題以外に考えられない。
この問題は、女性差別であることはもちろんだが、こういった「実力と関係ない部分で決められている」ことが、ことは、他にもあるかもしれないのだ。それは性別だけでなく、家柄とか親の財力とかだったりするかもしれない。そうなると、「努力は無意味」ということになってしまう。
私などは元から努力が嫌いなので「努力、意味ないです」と言われたら「それは良かった」と思うが、努力する気がある人から努力する気を奪うと、日本の質は低下する一方である。
今年、平昌五輪で金メダルを取り日本を熱狂させた羽生選手だって、「君がどんなに頑張っても裏で点数が操作されてるから、絶対に1番は取れない」と子どものころ言われていたら、途中でフィギュアをやめてしまっていたかもしれない。
やる気がある人のやる気を奪わないでくれ、と最初からやる気がない自分は思う次第である。