私の夫の携帯には休日でも平気で職場から何回も電話がかかってくるし、ひどい時は「行かなければいけなくなった」と言って仕事に出掛けてしまったりする。
休日に「仕事に行かなければならない」とは一体どれほど緊急事態なのか、少なくとも人命に関わるレベルの事態でなければおかしい。
しかしあのペースで人命に関わる事態が起きているとしたら、夫の職場はそろそろ全滅しているはずだ。
通信の発達で「逃げ場」がなくなった現代社会
先日、TeamsとSlackが使えなくなった際、Twitterには主に「仕事ができなくて困る」などのつぶやきが並び、「せっかくだから寝る」など状況をポジティブに捉える人間はほぼいなかった。
やはり日本人は仕事を最優先にしすぎ、そして起こったことの全てをTwitterに書きすぎなのではないだろうか。
仕事中に仕事ができなくなったら困るのは当然と思うかもしれないが、何故困るかというと「システムが落ちてるからできません」という言い訳が通らない社会だからではないか。
もしその言い訳に「なら仕方ない、寝よう」という英断が下される世界観ならそんなに困らないはずである。システムが落ちていると言っても「なんとかしろ」と言われるから困っているのだ。
そして実際「会議を中止」するのではなく、他のツールを使って何とかしてしまうのである。
このように、技術の進化によりできることが増えたのは良いが、逆に「できません」という返答、そして通信機器の発達により「連絡が取れない」という状況が許されなくなっているような気がする。
冷静に考えれば休日なら仕事の電話に出なくても悪くないし、どちらかというとかけてくるほうが悪い。
だが、なぜか「出ないほうが悪い」という圧を感じるし、それに対し「休みだから出なかった」と言ったら非常識扱いされてしまうまである。
通信手段が発達したのは良いことであり、それで生活は格段に便利になった。むしろ携帯が生まれる以前にどうやって約束や待ち合わせをしていたのか記憶にない。
何より私のようなコミュ症が「察して」という電波を相手の脳内に直接送る以外の方法で、他人と意思疎通ができるようになったのはそのおかげである。
しかし、権利大国アメリカが「我々には己のアイフォーンを自分で修理する権利がある」という一周回った主張を始めて、それに対しアイフォーン自力で修理キットが作られたように、我々にとって通信機器というのは「つながれる権利」であり「つながらなければいけない義務」ではないという声も強くなりつつある。
つまり「つながらない権利」が我々にはある、ということである。
日本人の勤勉さは高すぎるハードル?
自分の権利に対し人一倍関心がある私は「つながらない権利」をどこよりも早く行使しており、基本的には担当からの電話は出ない。
何故なら担当の電話番号を誰1人登録していないので、誰からかかってきても「知らない番号」なのである。
知らない番号にはおいそれと出るなというのは犯罪から我が身を守る基本中の基本であり、そんなことも守れずにこの情報化社会をサバイブできると思ったら大間違いだ。
しかし、それでは仕事にならないではないか、と思うかもしれないが、アイフォーンの報告によると私は一日19時間、iPadによると21時間にわたって電子機器を触っているのである。
つまり「メールを送れば確実に見る」のだ、正直電話より早い。送っても返事がこない場合は「見た上で返していない」だけである。
もし見てないとしたら「寝ている」というとことであり、寝ている時間に連絡してくる方が悪い。
つまりメールを送れば必ず見るのに、メールが面倒だから電話をかけているという相手側の怠慢である。
ここまで強硬な姿勢は、己の権利への強い関心と引き換えに社会性の全てを失った私と、人権はあるけど尊重しなくて良いでお馴染みの編集者の間のみで成立することだとは思うが、普通の会社員でも「休みの日に連絡されても出ない」ぐらいの主張は許されるべきなのではないか。
むしろ、多くの人間が休みの日でも会社からの電話に出てしまったから、今の「休日でも会社の連絡には応じるべき」という風潮にしてしまったといえる。
勤勉なのは良いことだが、その生真面目さが社会で生きていくために必要な社会性ラインを上げすぎてしまい、その基準を超えられず社会から弾き出されてしまう人間も多いことが我が国にひきこもりが多い理由の一つかもしれない。
フランスでは2016年に改正された労働法に「つながらない権利」が盛り込まれたことで話題になり、他の国でも、つながらない権利を認める動きは高まっているようだ。
しかし、休日に電話に出ないことが当たり前になると、当然自分の出社時に緊急事態が起こり、休んでいる担当者に連絡を取ろうとしてもつながらない、という事態になる。
それでは困るから、お互い休日でも連絡は取れた方が良いと思う人も多いのかもしれない。
だがそれは「頻繁に休んでいる奴を叩き起こさなければいけないほどのピンチが起こる職場」に問題がある気がする。
育休制度がただ強制的に休ませれば良いというわけではないように、つながらない権利もただ休みの日はつながらないようにすれば良いという問題ではない。
大体は、職場の体制自体に問題があるのだ。