「推し」や「推し活」という言葉が広まり、昔は「オタク」と言われて蔑まれてきた活動がポジティブなものとして受け取られるようになってきた。

しかしオタクに蔑まれるに値する面倒な一面があることも否めず、推し活に関しても他人に「推し方」を勘違いされると、烈火のごとく怒り出す、もしくは無言だがアゴがどんどんしゃくれ出す場合がある。

例えば、ティーンの男性アイドルのことをただ応援したい、自分の課金が彼のスマホ代や放課後友達と行くラウンドワン代の一部になるだけでありがたき幸せ、という方向性で推しているのに、「へーああいうのと付き合いたいんだ? でもまだ高校生でしょ?」と言われてしまう感じである。

ガチ恋勢が悪いわけではない、ただ自分がそうではないのにそう思われるのは嫌なのだ。

女子同士が仲良くしているのを壁のシミどころか冥王星から見守りたいと思っているタイプに、「百合いいよね! 俺もあの間に挟まりたい」と言ったら命がないのと同じだ。

このように推しを持つオタクにとって、推しに対する自分の方向性、つまり「解釈」は非常に重要なことなのである。

逆に言えばそれ以外の者にとってはどうでもよく、話を合わせてやろうと思ったのに突然「悪いが解釈違いだ」と言われるのは理不尽でしかない。

私も実写デビルマンを隙あらば推しているが「実写デビルマンを名作と思って推している」と思われるのは心外である。

猫が好きな人は猫になりたい?

だが、それ以上に許せない解釈違いが「おキャット様」に関する解釈だ。

今から十数年前、私はある出版社で漫画家としてデビューしたのだが、その時描いていたのが猫漫画、そして猫が好きであることも公言していた。

それを担当編集がどう曲解したのか、私のプロフィール的なものに「猫になりたい」というようなことを書いてしまったのだ。これは十数年経った今でも根に持っている。

私が来世なりたいものは「マグロ」である、何故なら「ちゅ〜る」の原材料だからだ。ちゅ〜るの一部になれるなら「タンパク加水分解物」でもいいかもしれないが、それだと何に転生したらいいかわからないので、マグロが一番近道だと思う。

つまり私は、おキャット様に尽くし、おキャット様に喜んでいただける存在になりたいのであり、恐れ多くもおキャット様になりたいなどとは微塵も思っていないのである。

実際、自分もアイドルになりたいと思ってアイドルを推している人間が少数派なように、猫になりたいと思っている猫好きはマジョリティではないような気がする。

仮にそうだとしたら、今回紹介するゲームはコンセプトからして若干こけていることになってしまう。

その名も「ネコデース」である。

それが何なのかいまいち判然としないまま熱が高まってきている、もしくは熱を高めるために企業が躍起になっている「メタバース」だが、それの猫バージョンが「ネコデース」である。

なぜ「ネコバース」にしなかったのかというと、すでに同名のものがあり、仕方なく「ネコデース」になったという。

ネコデースで遊んで見えた、メタバースの「難所」

  • 猫になって飛び込むネコデースの世界、広々とした草むらは爽快さを感じるものの……

    猫になって飛び込むネコデースの世界、広々とした草むらは爽快さを感じるものの……

「ネコデース」は自身がネコとなり、分身である猫のアバターを操作し、猫視点で仮想現実内での生活を楽しむというゲームだ。

自分が猫になるというのは解釈違いだが、やってみないことにはわからないので、とりあえずアプリをダウンロードしてみることにした。

その時点でレビューが20件しかなく嫌な予感がしたが、ゲームを始めると、いきなり自分はキジトラ猫と化し、フィールドに立たされていた。

普通こういうゲームは自分の分身となるアバターをキャラメイクする楽しみがあると思うのだが、このゲームでは潔く「4種の猫からランダム」で決められるようだ。

せめて4種から選ばせてくれと思わなくもないが、よく考えれば猫という時点で「全部当たり」なので、「選ぶ」という行為自体無意味と言えば無意味だ、その点はよくわかっていると思う。

猫視点であるなら、自身の姿は見えないはずなのだが、バイオハザード形式で自分の姿が見える。

猫の造形はリアルで可愛く、自分的には全然ありだ。操作は移動とジャンプのみというシンプルなものだが、何をしても可愛いのがおキャット様なのでそれも別に良い。

移動の際、たまにおキャット様の手足がまったく動かず、突然ホバークラフト移動を始めることもあるが、人間ごときの予想を超えた動きをするのがおキャット様というものである。

これが人間のアバターだったら「バグだ」と騒ぐところだが、おキャット様なら何が起こっても「これもあり」と思える。

ゲームとしてはまだまだだが、「寛大な気持ちになれる」というリラクゼーション的な意味では有用なアプリだ。

しかし問題なのは、「他のプレイヤー猫と交流できる」のがネコデースをメタバースの一種とする理由であり、売りにもかかわらず、私がプレイしたときは誰1匹として、他の猫に遭遇できなかったことだ。

自分1匹でも猫が走ったり飛んだりしているのを見るだけで楽しいと言えば楽しいのだが、メタバースとしてはマイナス☆5億である。

つまりメタバースというのは、人口が多くなければ機能しない世界なのである。色々な企業が今必死でメタバースを周知させようとしている理由がなんとなくわかった。

おキャット様はいるだけで尊いだけでなく我々に学びまで与えてくれる、こんな存在に自分がなろうというのはやはりおこがましかったのかもしれない。