「#ゴールデンカムイ #待望の実写映画化決定 #ゴールデンカムイ実写化」
このタグ群に対し「誰が待望してたんだよ」と言って大爆笑するのが、今我々の間で空前の大ブームだ。
しかし、漫画の実写化に対し「誰も求めてない」というのは、一人で1,000人分の声量を誇る一騎当千型の声がでかい原作ファンなので、実際は「実写化するなら見に行ってみようかな」という人も結構いるのだとは思う。
私は朝起きると、呼吸より先にまずTwitterを開くのだが、ゴールデンカムイの実写化が発表された日のトレンドはまず「ゴールデンカムイ実写化」、そして「橋本環奈」や「長瀬智也」などの俳優の名前が並んでいた。
そのため、金カムの実写化が決まりもうキャストが発表されたのかと思ったが、発表されたのは実写化決定のみであった。
つまり「キャスト予想」ですらトレンドに上がるほどのビッグニュースだったということである。
ただ、真っ先に反応するのは当然原作ファンなため、Twitterに並んでいるのは喝采というより断末魔の叫びに近いものが多かった。
ただでさえ実写化が発表されたとき、原作は最終回に向けて怒涛の展開を見せていた最中であり、読者の中には、かれこれ3ヶ月は喪服が脱げず手の甲まで喪服と同じ色になっていた者が少なくなかった。
私も長らく「売れている漫画は読まない」でおなじみであったが、なぜかゴールデンカムイだけは読んでおり、ここ最近はただの一読者として眉間とこめかみを交互に押さえる日々を送っている。
しかし「実写化」というのは本来吉報なはずである。それに対し、最終回を迎えずに原作者が急死したかのような反応を見せる原作ファンのほうが目障りだと感じている人もいるかもしれない。
そもそも実写化というのは原作者がOKを出さなければ絶対成されないことである。
「俺は描いた覚えのないオリキャラや恋愛要素を、自分の作品内に死んでも入れたくない」という原作者はどれだけ話がきても断るのだ。
原作者がポジティブ、もしくはどうにでもなれというおおらかな気持ちでOKを出しているものに対し、原作ファンがネガティブなことばかりいうのはどうか、という話である。
だが、実写化に対するファンの拒否反応というのは、原作を自分のものと勘違いしている厄介なオタクが、自分の意にそぐわない実写化をやめろという意味で言っているわけではない。
むしろできれば良いものになってほしいと思っている。しかし、あまりにも無邪気に期待しすぎると、コケた時のダメージが大きすぎるのだ。
昔、警備会社の人が、警備する上で重要なのは「常に最悪の事態を想定すること」と言っていた。
「ここでこういう事故が起きるかもしれない」と想定することで事故を未然に防ぎ、万が一起こったときも迅速に対処ができるのだ。
それと同じように、原作ファンも「原作にはいなかったオリジナル女死刑囚登場」「アシリパさんがどう見ても11歳ではない」「困ったら繰り出されるオソマギャグ」など、あらゆる事故を想定して災害に備えているのである。
つまり実写化に対する原作ファンの文句というのは、咄嗟に頭を守ろうとする防衛本能であり、防災なので大目に見ていただけると幸いである。
邦画大コケの前例だけじゃない、ゴールデンカムイ実写化への懸念
ゴールデンカムイ実写化に難色が示されているのは、漫画の実写化の成功例が少ないからだけではなく、ゴールデンカムイの話の特性も関係している。
ゴールデンカムイは「アイヌ」が大きく関わっている話なのだが、現代においてアイヌを描くというのは非常にセンシティブな行為だ。
よって現代日本ではゴールデンカムイを実写化するのは不可能と言われていたらしいのだが、事実として実写化は決定してしまった。
ギリギリを攻めるつもりかもしれないが、安全策をとるとしたら「アイヌじゃない何か」に変更するのが無難だ。
しかし、そこを変えるとなると全部変えるということになってしまう。こちらとしてはラッコ鍋回を2時間やってくれても構わないが、あれですらアイヌの伝承が元になっているためかなり難しい。
このようにまったく別物になるのも嫌だが、忠実にやって、推し作品が別の方向で大ごとになるところもファンとしてはあまり見たくない、という非常に悩ましい状態なのである。
私も一原作ファンとして心配ではあるが、うまくいってもいかなくても実写デビルマンの話をするブリッジができるというメリットがあるため、我が心は不動だ。
このように、自分の推し作品の実写化が発表された時の安定剤としても実写デビルマンは有用である。
ぜひゴールデンカムイの映画が上映される前に見ておくことをおすすめする。