最近「若者の食べログ離れ」が顕著らしい。
「若者の○○離れ」という言い回しも使い倒され続けて数十年、すでに当時の若者も中年を超えてすでに初老リーチであり、若者が何かから離れたと聞いては、初老とは思えないフットワークで飛びつき、腕組みため息をする側になっているのではないか。
つまり、この数十年、若者がありとあらゆるものから離れ続けてきたということである。
しかし映されないだけで、荒れる新成人の裏に何倍も荒れてない新成人がいるはずなのだ。それと同じように、若者も何かから離れた分、別の何かをやっているはずである。
中年以上の人間に「最近の子はYouTubeばっかり見てるんでしょ」と言われるのも相当うざいが、「昨日のひるおびの恵の立ち回りマジやばかったよね、あ、最近の子はテレビとか見ないんだっけ?」のほうが殺意が湧くだろう。
どっちかと言えば、我々に必要なのは「若者の○○離れ」情報よりも「若者の○○粘着」ニュースである。それにもかかわらずメディアが「離れ」の方を見出しに使うのは、他でもない老たちがそちらのほうに興味を持つからなのだと思う。
逆に言えば、「若者の○○離れ」ニュースに興味を持つようになってきたら老化のサインだ。若者であればこんなニュース「うるせえ」としか思わない。
住むところに左右される、食べログとの「お付き合い」
そんなわけで今回も若者に黙れと思われていそうな「若者の食べログ離れ」だが、そもそも若者が食べログをヘビーユーズしているというイメージがなかった。
むしろ、食べログを自分のブログと勘違いした中高年が食い物のうんちくに見せかけた自分語りをする場所と思っていた。
このような偏見がキツいのも老の特徴ではあるのだが、実は離れる以前に、私が住んでいる田舎には口コミサイトで店を選ぶという文化があまりない。
まず選ぶという行為自体、選ぶほど店がなければ不可能なのだ。
現在の食べログの店舗登録数を見ると、東京は約12万8千件だが、我が県は約7千件である、東京の端数にも満たないのだ。
さらに、私の自宅近辺で「アジア・エスニック料理」を食いたいと思ったら、この時点で2件まで絞られる。さらにその内の一つが「牛角」なので実質1件しかない。もうこの時点で選ぶことができない。
ちなみに指定ジャンルを「無国籍・創作料理」にすると4件になるが、内2件は白木屋と魚民である。
元々の選択肢がないため、口コミに「ババアがいつも誰もいない席に料理を運んでて怖い」など、多少物騒なことが書かれていたとしてもそこに行くしかないし、調べたところで行き着く先はモンテローザなので、最初から食べログで店探しという習慣があまりない。
よって「食べログ離れ」と言われても、そもそも俺たち付き合ってないよね、という話だったりする。
客も店も、だんだん「離れ」ているのかも
だが、食べログを使用できる都市の若者は食べログから離れているらしい。その根拠は、調査の結果、なんと4分の1もの人間が食べログの口コミを「あんまり信用してない」と回答したから、とのことらしい。
逆に言えば4分の3がまだ信じているということなので、そこまで離れていないような気もするが、信じる信じないの前に「食べログで店探し」という習慣自体が廃れてきているという調査結果なのだそうだ。
つまり、やっと都会が我が村の文化に追いついた、ということである。
では若者が口コミなど調べず直感で店を選ぶ井之頭五郎リスペクトになったか、というとそうではなく、情報の収集元が食べログから、店が持っているInstagram(インスタ)などのSNSアカウントに移行しているからだそうだ。
確かにインスタであれば写真の見栄えもいいし、店主がとりあえずTwitter、Facebook、インスタ全部アカウント作って以後放置という、自営業以前に社会に向いていないタイプでなければ、最新情報が手に入る。インスタ側もそうした状況を反映して、店のページから直接料理の注文や席の予約をする機能をつけていたりする。
また、ランキング操作など食べログの情報に対する疑惑がいまだに払拭できていないのも原因と言われている。
そして何より、食べログで店舗情報をPRするサービスを使おうとすると、最低で月額1万円が必要になるのだそうだ。ただでさえコロナで飲食業界が厳しい中で月1万の出費は痛いということだろう。
それならば、基本無料のSNSで情報を発信しようとする店舗が増えてもおかしくない。
店舗の登録が減れば我が村のように「2件(内1件牛角)」になってしまい、もはや検索サイトとして機能しなくなってしまう。
また同じようなサイトならGoogleの店舗情報の方が使いやすい、との声も多いそうで、使いづらさも「離れ」の原因になっているようだ。
ネットが普及したことにより、事前に情報を収集しやすくなり「誕生日に彼女をイタリアンファミレスに連れて行く」というような不幸な事故は起こりづらくなった。しかし情報が多すぎて、今度は収集能力より取捨選択能力が必要にもなってきている。
口コミも所詮他人の感想である。ババアが誰もいない席に飯を運んでいる店も、実際行ってみれば「俺にしか見えない誰かがいた」という場合もある。
時にハズレを引くこともあるかもしれないが、その前に「選択肢がある」時点で恵まれた立場でいるということを忘れないでほしい。