ここ数年「セルフサービス」が増えてきている。
日本は江戸時代にはすでに「自分で腹を切る」というセルフサービスを導入していたほどのセルフ先進国である。
近年では、少子高齢化による人材不足のためスーパーやコンビニもセルフレジが増えており、さらにコロナウイルスの影響で、できるだけ対人のやりとりは避けるべき、という風潮にもなった。
そんな背景もあり、今後ますますセルフサービスや窓口を通さないオンライン手続きなどが増えていくと予想される。
「セルフサービス」といっても、要は「てめえでやれ」である。しかし、セルフサービスはユーザーにとって手間が増えるというデメリットだけではない。
自分で腹を切るセルフサービスも、手間と勇気が必要な上、結構痛いというデメリットがあるが、セルフで腹を切ったことにより処刑ではなく自害と見なされ、名誉が保てるメリットもあったのだ。
現在もセルフサービスで人件費を削減することで商品の低価格を実現させているところは多いし、ネットバンクの手数料が安いのも、実店舗を構える地代やそこに置く人間の人件費を回しているから可能なのだ。
もちろんシンプルに「自分でやった方が早い」という場合もあるだろう。
つまり今後もセルフサービスは増えていき、このペースで行けばセルフサービスの完成形「自爆」が可能になるのも時間の問題ということだ。
Appleが修理のセルフサービスを発表
そんな下ネタではないセルフバーニングへの新たな一歩として、Appleが今までにないセルフサービスを発表した。
その名も「セルフサービスリペア」プログラムである。
このプログラムはiPhoneのディスプレイやバッテリー、カメラが壊れた時、Appleが提供する純正の部品や修理マニュアルを用いて「自分で修理」ができるというサービスである。
確かに、現在iPhoneが壊れたら、壊れた製品をストアに預けるか自ら郵送したのち、思いのほか高い修理費に驚愕しつつも「じゃあそのまま土にでも埋めてくれ」とも言えず、諾々と修理を頼むか、買い替えるしかなかった。
しかし「自分で修理がさえできれば」と思ったことがあるかというと、ない。
自分で修理したほうが安価で直せて、修理セットを送ってもらうだけなのでやりとりも少なくて済むのかもしれないが、修理する手間やリスクを考えれば、やはりメーカーに修理してもらうのが一番な気がする。
よってこの「セルフサービスリペア」のことを聞いたときは、ツイッターの新機能発表を見たときのような顔になり、ついにAppleも「アップルくん」になってしまったのかと思ったが、意外にもこのサービスはユーザーの声に答えたものらしい。
最近欧米では「修理する権利」を求める運動が活発になっているそうだ。
修理が権利であるという発想はなかったが、確かに所有者であれば「自分のiPhoneを破壊する権利」があるのだ。
破壊する権利があるのに修理する権利がないのは妙な話であり、所有者が修理してはいけないのに、どこぞのリンゴの骨とも知れない輩に修理する権利があるというのはどう考えてもおかしい。
行使するかどうかは置いておいて「修理する権利」をユーザーに与えるシステムが必要、と言えなくもない。
てっきりコスト削減のためのセルフサービスかと思っていたので、まさか「権利の問題」とは思わなかった。やはり権利に関しては欧米の方が先んじていると認めざるをえない。
日本でのセルフ修理、今は法的にアウト寄りのグレー
では日本がそれに追随できるかというと、現在のところ「難しい」という見解のようだ。その理由は、日本で勝手にiPhoneを分解すると技適対象外となり、違法通信端末になる恐れがあるかららしい。
しかし、法律以前に「iPhoneを自分で修理したい」というニーズがないように思える。恥ずかしながら日本は権利に対する意識がまだ低いため、修理を権利と思っている人自体が少数派だろうし、さらに「自力でiPhoneを修理できる人」もそんなにいないと思われる。
簡単に「iPhone修理キット」などと学研の付録みたいに言っているが、あくまで「通信機器の修理技術がある人向け」のサービスであり、素人でも手順通りにやればできるというものではないらしい。
むしろ、フレスコ画を素人が修復しようとしてシュールレアリスムになってしまうように、素人がiPhoneの修理をしたらもっと壊れるか、最悪爆発して早くも究極のセルフサービス「自爆」を実現することになってしまう。
やはりこのセルフサービスリペアは修理する権利を与えることに意義があり、実際に修理する人はそこまでいないのではないかと思われる。
このように「セルフサービス」が増える一方で、家事代行など個人でできることでもプロが代行するサービスも増えてきている。
家事代行を利用しているのは決してセレブというわけではなく、家事をする時間を金で買い、その時間で仕事など別のことをする考え方をする人が増えてきているのだ。
つまり何に時間を使い、何を金で済ませるかを選ばなければいけない時代が来た、ということである。
ただ、私のように現代は金も時間もなく、選ぶ段階に行けてないという問題を抱えている人間の方が多いのが現実である。