最近、邪神像界がアツいようである。

「邪神像」と聞くと中年オタクは何も言わずに喪服と香典の用意をしはじめる手際の良さなのだが、若人はポカンとするのみ、もしくは意味は知っているが何故そう呼ばれるのかは知らないという人も多いだろう。

あれは2004年のこと。

割と昔の話と思っていたが、想像以上に昔の話で動揺を隠しきれない。中高生のほとんどが生まれてすらいない、もしくは親父のキンタマにいたかいないかの時だ。

だが「像を神に見立てて崇める」という宗教行為は太古の昔から存在する。

今でも家に推しの像を奉った祭壇を作っている者は少なくないし、中には帰宅後すぐに祈りを捧げられるよう、靴箱の上に祭壇を作っている敬虔な信者も存在する。

よって今も昔も神の像を欲しがる人は多く、像の販売はもちろん、何かの特典として像をつけるという文化も珍しくない。

クオリティの低い像、つまりフィギュアの代名詞として後世に語り継がれる存在となる「邪神像」も、ゲームソフト「ゼノサーガⅡ」の限定版の特典としてつけられた、「KOS-MOS」というキャラクターのフィギュアのことである。

ちなみにこの限定版は18,690円であり、ソフト代を抜くとフィギュアは実質一万円相当ということになる。だがこのフィギュアが、もはや「低クオリティ」という言葉では言い表せない迫力があるものだったのだ。

キャラグッズとしてはこれ以上なく低クオリティだが、宗教像としては極めてハイクオリティだったため、「KOS-MOS」をもじって「邪神モッコス」として崇めらるようになった。その後、クオリティの低いフィギュアや、クオリティが低いのは確かだが、何らかの霊験があらたかそうなフィギュアを「邪神像」と呼ぶ風習ができたのである。

邪神像事件は、当事者以外やそのキャラに思い入れがない人間からすればただの面白案件だ。しかし、そのキャラが好きで、決して安くない金を払った者にとって、推しのグッズを買ったはずなのに、箱を開けたら明らかに邪教寄りの宗教道具が入っていたというのはただのトラウマである。

先日、ドコモが進撃の巨人とコラボして製作したリヴァイのフィギュアが邪神像だったとして話題になった。

このリヴァイフィギュアは進撃の巨人のリヴァイとしては低クオリティだったが「ギャグマンガ日和に出ていた時のリヴァイ」としてはかなり高クオリティだったため、邪神像としての評価も高かった。

だが、リヴァイのファンで、高い金額を払ってカッコいいリヴァイフィギュアを期待していた人にとってはたまったものではない。

そんな、純粋なファンに邪神像を送りつけるテロは未だになくならないのだが、それよりもさらに一歩進んだハイテク邪神像案件が話題になった。

簡単に言うと「お前が邪神像になるんだよ」である。

あなただけのオリジナル邪神像をお作りいただけます

  • キャラと「自分の顔」が融合したアバターが爆誕しました

    キャラと「自分の顔」が融合したアバターが爆誕しました

この事件は「バーチャル渋谷 au 5G ハロウィーンフェス 2021」にて起こった。

ちなみにこのイベントはKDDIが渋谷とタッグを組んで行ったものである。ドコモの進撃の巨人コラボといい、携帯会社はオタクに恨みでもあるのだろうか。オタクほどスマホを一瞬たりとも手放さない人間はいないと思うので、もっと大切にしてほしい。

このイベント内で「名探偵コナンのコラボアバター」を製作できるという催しが行われた。

簡単に言えば、自分をスキャナーで取り込み「自分のアバター」を製作し、さらにそれに名探偵コナンに出てくるキャラクターの格好をさせることができるという仕組みである。

これにより「体はコナン、頭脳は子供、顔は俺」という地獄のキャッチフレーズがつけられる、世界にたった一つのオリジナル邪神像を作ることが可能となってしまったのだ。

胴体はSDなのに対し、顔はかなりリアルなのでアバターとしてもかなり不気味なのだが、さらにそれに「100億の男」である安室透の格好をさせたりもできるのである。

制作者側としては、自分をコナンのキャラに出来るなんてさぞ嬉しかろうということなのかもしれないが、壁のシミとして推しを愛でたいタイプからすれば、「自分の顔をしたあむピ」というのは、親の夜プロレスと並んで見たくないものである。

確かに「コスプレ」という文化もあり、バーチャルで簡単に自分に推しの格好をさせられるというのは悪くないかもしれないが、コスプレだって低クオリティなものは叩かれるし、ファンとしては見たくないものなのである。

やるなら顔をデフォルメできるようにするなど、コナンキャラにマッチするような工夫は必要だっただろう。(編集注:イベントの一環で行われたキャストトークのアバターは、デフォルメされたかわいい安室&コナンだったそうです)

このように、炎上する人気コンテンツとのコラボというのは、総じて「雑」なのである。

確かにオタクは金払いが良いため、どこも人気アニメなどとのコラボをやりたがるし、ファンにも「金と内臓なら出す」という、リアル心臓を捧げかねない面構えが違う者も多く、そういう人間にとってコラボは嬉しいものである。

しかしコラボさえすれば良いという雑な考えでは、オタクは怒り哀しみ、企業のイメージは下がるというルーズルーズにしかならないのだ。

コラボさえすれば良い、ではなく「コラボこそ細心の注意を払わなければいけない」という意識で臨んでほしい。