先日「文化庁メディア芸術祭」という祭(サイ)の漫画部門の優秀賞に、私の漫画が選ばれた。

私の部屋の本棚に水平に突き刺さっている漫画が、という意味ではなく、「私が描いた漫画が受賞した、…という夢を見たんだ」(病室のベッドで)でもない。

そして、それを言いたくて「進次郎が次に有料化するものは? 」というテーマを無視して書いているわけでもない。だが本当にそれがテーマだったとしても、無視するし、無罪だろう。

文化庁メディア芸術祭受賞の理由を作者自身が予想

今回編集部から出されたテーマは、「終活」と最近注目を集めている「デジタル遺品」について、なのだが、私が受賞した漫画のテーマがズバリ「孤独死」、そしてそれを回避するための「終活」なのである。

「面白さの気配を感じない」と思った人は勘がいい。そして勘のいいガキは嫌いなのでここで消えてもらう。

だが個人的には、漫画としての面白さよりこの「テーマ」で選ばれたところが多いのではないかと思っている。

「孤独死」は近年社会問題化しているし、「終活」の需要は年々高まっているが、それらをテーマにした漫画はまだあまりない。

やはり国(コク)の漫画賞である。

完全に偏見だが、どれだけ面白くても贈賞理由に「矢継ぎ早に繰り出されるウンコギャグに死ぬまで笑える」としか書けない漫画より、「現代の世相を反映する、考えさせられる作品」みたいなことを書ける漫画の方が選ばれるような気がする。

つまり私の漫画が賞に選ばれるレベルで「終活」には注目が集まっているということだ。

死んだあとのことは関係なくても、死ぬまでのことは自分事

「終活」と聞くと、死んだあとのことなどどうでも良いという人が結構いる。最悪「孤独死」して、ゲル状で発見されたとしても、片づけるのは自分ではないのだからどうでもいい、というのだ。

同感である。

私も終活漫画など描いておいて何だが、割と「死後」のことはどうでもよいと思っている方だ。少なくとも、液状化現象を起こした私を発見するのは私ではないはずだ。

しかし「終活」というのは「死後」のための活動ではなく、死ぬまでの晩年を含めての準備である。

まず、バッドスメル通報がされるまで気づかれない「孤独死」の原因だが、まず死ぬぐらいだから死ぬ以前から体調が悪いケースが多く、元気だった人がある日即死して気づかれないというケースは稀である。

そして何故気づかれないかというと、人づきあいが全くないからだ。

つまり「孤独な状態で長患いした末の死」が多いのだ。下手をするとその期間が数年、数十年続く場合もある。

百歩譲って、死後のことはどうでもよいとしても、その死に至るまでの苦しみまでどうでもいいか、というと話は別である。

しかし「死後」のことまで考えられるのは「余裕がある人間」であることは否めない。余裕があるから「死後家族が困らないように」、などと言う優しい発想になれるのだ。

世を呪っていたら、逆に「遺産のありかがわからず5時間ぐらい銀行窓口で待たされた上に『うちの支店じゃないすね』と言われればいい」と思うに決まっている。

どんなにデジタルが普及しても現状は「アナログしか勝たん」

  • オフィス環境ではITリテラシーの低さを象徴していた「デスクトップふせん」、終活目線だとよい方法かも?

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だが、そういう「死後はどうでもいい勢」すら、「これを始末しない内は死ねない」と思っているのが「パソコンやスマホの中身」である。

この意味が分からない人は、逆にパソコンやスマホで一体何をしているのか気になるところである。

誰しもパソコンの中に見られたくない物の一つや二つ持っているものであり、特にオタクは遺品整理の話になると必ず「俺の心臓が止まった瞬間爆発するPCの登場はよ」と言い出す。

しかし、遺族としては爆発してもらっては困るのだ。別に、故人のピクシブドスケベブックマーク群を見たいというわけではない。

最近は銀行もネットバンクが増えてきているし、近年の電子マネー化ゴリ押し政策により、スマホを財布代わりにする人も増え、さらに給料のデジタル払いまで検討されている。パソコンやスマホを使って、株取引や仮想通貨取引をしている、という人もいるだろう。

それらは通帳などの物理的痕跡があまり残らないため、遺族はパソコンなどを見ないことには「そういう遺産がある」ということにすら気づけないのである。

最新の電子機器を使っていながら「タンス預金」と同じぐらい、把握が難しいものになってしまっており、遺産を取りっぱぐれる恐れがあるのだ。

またパソコンやスマホは残っていても、パスワードがわからないという場合も多い。

このような電子機器に残っている情報や金融資産などを「デジタル遺品」と呼び、近年の終活ではかなり重要視されている。どれだけ遺族が困らぬようにと、死後必要な情報をまとめていても、それが入ったPCのパスワードがわからなければ詰んでしまう。

よってスマホやパソコンのパスワードはわかりやすいところに書き留めておき、死後情報はデスクトップなどわかりやすいところにフォルダを出しておく。また、エンディングノートはPCで作っても必ず出力しておくことが重要だそうだ。

つまり、どれだけ技術が発達しても今のところ「最後はアナログしか勝たん」であり、オフィスでは愚行中の愚行とされる「ふせんにパスワードを書いてデスクトップに貼る」が遺族にとっては一番ありがたい、ということである。

ちなみにSNSやブログなども、本人が亡くなってもそのまま残っているものがある。一定期間ログインがないものは自動的に抹消する、という話もあったが、遺族の「故人の思い出として残して欲しい」という意見も多い。

このように本人にとっては自分と一緒に爆発してほしい黒歴史でも、遺族にとっては思い出、有名人であれば「歴史的資料」として保管され、博物館に晒されてしまうケースもある。

死後のことはどうでもよいなどとは思わず、見られて困るものは自分で消して死ぬしかない。

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