Twitter(ツイッター)と言えば、「リツイート」だけでなく「いいね」までフォロワーのタイムラインに表示されるようにしたりと、常にユーザーの希望の斜め下の機能をつけることで有名であった。
何故「いいね」がタイムラインに表示されるのが困るのかわからない、という人は別にわからないままで良い。ぜひ引き続き、「いいね」が表示されても困らない人生を送ってほしい。
「いいね」公開仕様で苦悩するオタクの「いのり」
一応説明すると、「リツイート」というのは「このイラストかわいいやんけ、フォロワーのみんなにも見せたろ」という動機でされるが、「いいね」というのは「このイラスト、超ドストライクでござるが、布面積的にちょっときわどい、というかもう全部出ちゃっているので、拙者がこういうのが好き、とフォロワーに知られるのは困るでござる」という時に、個人的ブックマークという意味で使うことも多い。
つまり「いいね」が表示されることにより、珠玉のエロブックマーク群がフォロワーに大公開されてしまうかもしれないのである。これは単にブックマークがやり辛くなった、という問題ではない。ツイッターが後からその名もずばり「ブックマーク」という、誰にも知られずツイートをブックマークできる機能をつけてきたが、それでは意味がないのだ。
「いいね」は神絵師に直接リプライできない自己肯定感低すぎオタクの「あなたの絵大好きです、また描いてください!」という願いが込められた「いのり」なのである。相手に通知が行かない「ブックマーク」では、オタクの「いのり」が神に届かないのだ。
実際、絵師のモチベというのはどれだけ反応があったかに大きく依るため、リツイートやいいねが少ないと、いとも容易く「こういうイラストはもう描かんでいいかな」となってしまうのである。
このように、「いいね」がし辛いというのは、絵師はモチベが下がるし、ファンは絵師に絵を描いてもらえないしで、全く誰も得していない。
おそらくこの機能を考えた人間は、俺がいいねと思うものは全部ハイセンスで恥ずかしくもなんともないから、全世界の人間に見てもらうべきという発想なのだろう。ぜひ来世はそういう人間になりたい。
悪意がないからややこしい、多種多様な「クソリプ」
話は大きくそれてしまったが、そんなツイッターが最近また新機能を付けた、それが「リプライ制限機能」である。
ツイートをするとき、そのつぶやきにリプライを送れるアカウントを「全てのアカウント」「自分がフォローしているアカウント」「@を送った相手のみ」の三種類に指定できるという機能である。
この機能がつけられた理由は、「意義深い“会話”が不要なリプライによって邪魔されること」を防ぐため、つまり「誹謗中傷」や「クソリプ」を防止するため、と言われている。
誹謗中傷は明らかな悪意を持って暴言や相手が不愉快に思う発言をすることだが、「クソリプ」は少しニュアンスが違う。
例えば「今日作ったカレークソうめえ。永遠に食えるわ!」というつぶやきに対し、「私はハンバーグを食べました」と死んでも自分の話をしようとする系や、「永遠に食べたらお腹壊しちゃいますよ」など冗談や文脈を理解せずにリプしてくる系、「カレーとクソを並べないでください気分が悪いです」というお気持ち害しいちゃもん系などが代表的クソリプラーとして挙げられている。
他にも「小生もスク水を着用後、胸部を限界まで引っ張り、そこにカレーを流し込むのが三度の飯より好きなのでわかりみが深いです」など、何かよくわからんがとにかく怖い系、そして「僕はカレーより、ミカちゃんが食べたいな。ナンチャッテσ(^_^;)」という「おじさん」など、クソリプの種類は多岐にわたるが、総じて場の空気が読めておらず、発信者を「モヤッ」とさせるのがクソリプである。
誹謗中傷と違いクソリプには悪意がない。むしろ「君はカレーが好きなフレンドなんだね!僕はハンバーグが好きなフレンドだよ!」という「無邪気」の原液みたいなクソリプラーも多いため、「悪気はなさそうだ…」とブロックやミュートを躊躇している間に第二波を食らうというケースも多い。
「不屈の闘志を持っている」というのもクソリプラーの特徴であり、こちらが返信を一切していなくても、つぶやくたびにクソリプを提供してくれるボランティア精神あふれる方が多いのだ。
正々堂々と議論しなくても自由。だって、それが、ツイッター。
誹謗中傷は重大な問題だが、こういったクソリプもツイッターをやるに当たっては地味にストレスである。特に、有名人などフォロワーが多い人のつぶやきには誹謗中傷やクソリプやが付きやすい。だからと言って、SNSも仕事や宣伝の一環と思えば、安易にやめたり鍵アカにすることもできない、という板挟みになってしまう。
有名人がSNSで受けるストレスというのは看過できないものになりつつあるので、このリプライ制限機能は珍しく良い改良なのでは、という意見も多い。
さらに、「@をつけた人だけ返信」できるという機能があることにより、有名人同士がツイッターで会話しているところに、心臓が強すぎる一ファンが割り込んできて、本人よりもそれを見ているファンたちが「な、なんでそんなことが出来るんだ…」と床にへたり込んでしまうこともなくなる。
しかし、このリプライ制限は投稿する時にしか指定できないため、つぶやきが思った以上にバズってしまい、クソリプが増えてしまったからといって、後から制限をかけることはできないので無意味という意見もある。
確かに、バズりもしない内からバズってクソリプついたら嫌だし、と制限をかけるのも、告られたこともないのに振る練習をしているようで、恥ずかしい感じもする。
つまり、最初から荒れそうなつぶやきや、「このつぶやきには、不特定多数のコメントは求めていません」という時に使うことになる。
そう言うと、「己の意見は言うが、人に意見は言わせない」という姿勢はどうか、という批判も出てきそうだが、基本的にツイッターというのは独り言ツールである。
現実で己の独り言が想定を超えた人数に聞かれ、知らない人が次々と議論という名のポケモンバトルを挑んでくる状況になったら、「怖い」としか言いようがないだろう。
そういう機能をつけたということは、「議論は受けつけない」という姿勢を取ることは反則ではない、とツイッターが認めているということである。「FF外から失礼します」や「無断フォロー禁止」などより、よほど公式ルールということだ。
審判が認めているなら、必要とあれば「自衛手段」として、ブロックやミュートと同じように、どんどん使っていくべきではないだろうか。