人間には様々な欲がある。食欲、性欲、支配欲、名誉欲、金銭欲、肉欲……。と、同時に欲には強弱や色がある。貪欲、強欲、小欲、大欲、意欲、禁欲……。
さて世の中には物欲も金銭欲もそれほど強くないのに、とかく他人のモノを欲しがる人がいる。それまでは見向きもしなかったのに、他の子どもが遊びだすと、泣いて、喚いて、親や地面まで叩いて、他の子が遊んでいるおもちゃを欲しがる子どもがいる。
とても幼稚な欲には違いない。こうした欲をなんと呼ぶかは知らないが、好むと好まざるにかかわらず、認めようが認めまいが、こうした欲は存在する。他人との比較から生まれることから、妬みや僻み、嫉み、やっかみなどは、こうした欲と同根であろう。ちなみに順番にねたみ、ひがみ、そねみ、と読むんだよ。
それはともかく君の周囲に、いわゆるモテる男がひとりくらいはいるはずだ。それは必ずしもイケメンで、背が高く、街を歩いていたら声をかけられる、といったタイプばかりではない。いや、そんなタイプは日本全国を探してもほんのひと握りであり、それは芸能界やスポーツ界などで”名声”を得た後に得られる特権、見方を変えれば迷惑であろう。
では、君の周囲のモテ男とは、どんなタイプであろう。優しい、面白い、スポーツが万能、頭がいい……。どのような分析をし、またどのような理由をつけるのも勝手だ。だが、おそらくそれらはほとんど的外れだし、無意味である。なぜなら君の周囲のモテ男がモテる理由はひとつ。彼らにはカノジョがいる。ただ、それだけだからである。
モテる男にカノジョがいる。当然のことではないか、との反論もあろう。だが、その当然に気がつかないからこそ、目を向けようとしないからこそ、君はモテナイのである。
どういうことか? ここに冒頭の欲が絡む。そう、人のモノを欲しがるという、タチの悪い、一度ハマったら抜け出せない底なし沼のような欲である。そしてこの欲にとりつかれた人間は、特に女性に多いと感じるのはボクだけであろうか?
カノジョができた途端、あるいは結婚した途端、モテるようになった男が君の周囲にはいないか? カノジョができて余裕ができた、男としての自信が生まれたなど、こちらも勝手な分析、理由をつけることは簡単だ。しかし、現実から目を離すな! カノジョができた途端、そのカノジョの周囲には、その持ち物が欲しくなって仕方のない欲にかられた女が、5~10人はいるのだ。欲しいものが、カレシからもらったグッチのバッグであるうちはいい。そのうちの1人か2人はカレシ自身に、色目を使うようになるのである。
これが社会学的にみた「モテる」という現象の実態である。もちろんモテることが必ずしも幸福になることではないし、またいくつもの壮絶な修羅場や泥仕合を生み出してきたことは、古今東西の歴史が物語っている。だが、一度、男に生まれたからには「モテたい」と思うのも、悲しいかな男が持って生まれた「欲」である。
いずれにせよ確実にモテるためには、カノジョをキープすることが先決なのだ。この際、どんな女でもいい。むしろ「あんな女になんでカレシができるのよ? 」と周囲に思わせた方が、確実に例の「女の欲」をより刺激することは想像に難くない。であれば、なおさら効果的だし、そもそもモテナイ者同士なのだから、そこで春を謳歌するのもまた青春であり、人生であろう。
ボクはこれを「恋愛エスカレーターの法則」と呼んでいる。一度、エスカレーターに乗れば、次から次へと女は乗り換えられる。階段でもエレベーターでもダメなのだ。恋愛は乗り続け、走り続け、継続することにこそ意味があり、待ち時間があってはならないのだ。 もっともこのエスカレーターに乗る行為、つまり最初のカノジョを見つけ、つかまえる行為が、恋愛にとって一番むずかしいのも、これまた古今東西、歴史の示した事実ではあるが……。
本文: 大羽賢二
イラスト: 田渕正敏