赤羽駅界隈は、明治期から軍都として栄えた。戦後にそれらは役目を終え、大半の敷地は公共施設や住宅地へと転換された。旧陸軍赤羽火薬庫の跡地には、都営桐ヶ丘アパートという団地が建設された。桐ヶ丘アパートは、1957年から建設を開始。総戸数5000を超えるマンモス団地だったため、全146棟が完成したのは1975年。実に約18年という長い歳月をかけた一大プロジェクトだった。

  • 1975年に全146棟が完成した都営桐ヶ丘アパート

    建て替えを控え、桐ヶ丘アパートは居住者がだいぶ減少している

また、桐ヶ丘アパートの南側には、全55棟3373戸の赤羽台団地が1962年に竣工している。戦前期、赤羽台団地の敷地は陸軍被服本廠として使用されていた。戦後、これらの軍関関連施設はGHQに接収され、米軍住宅の赤羽ハイツになった。返還後、赤羽ハイツは赤羽台団地にリニューアルされた。巨大な住宅団地群が生まれたことで、1960年代の赤羽は居住者が爆発的に増加した。そして、当然ながら赤羽駅の利用者も増えた。

赤羽駅の利用者増を受け、1972年から赤羽線が運行を開始。現在の埼京線の前身でもある赤羽線は、赤羽駅―池袋駅間を行き来するだけの風変りな電車だった。戦後の赤羽を繁栄に導いた桐ヶ丘・赤羽台の2大団地群は、歳月が経過して老朽化が顕著になっている。桐ヶ丘・赤羽台の両団地の見納めに来る近隣住民や団地ファンは少なくない。

  • 桐ヶ丘アパートのシンボルとして親しまれる給水塔

2020年度をメドに、桐ヶ丘は建て替え計画が進む。昼間に桐ヶ丘の団地内を歩くと、住民とすれ違うことはほとんどない。また、居住者もかなり減少しているようで、建物は荒涼とし、団地内の道路や公園には静寂な雰囲気が漂う。シンボルタワーとして親しまれる団地の中心部にある給水塔も、どこか寂しげだ。

  • 赤羽台団地からヌーヴェル赤羽台へと生まれ変わる中、古い住棟の撤去が進む

もうひとつの赤羽台団地は、すでに2006年から建て替えが始まっている。すでに一部は、ヌーヴェル赤羽台として新たに生まれ変わった。新しくなった団地は、団地らしさを感じさせない。どちらかというと大学などの研究棟のような印象だ。スターハウスと呼ばれる、特徴的な星形をした住棟も消失してしまうだろう。それが、一時代の終焉を思わせる。

  • スターハウスと呼ばれる星形をした住棟。最近は、こうしたスターハウスが見られなくなった

また、ヌーヴェル赤羽台は大通りに面して公園が整備されている。そのため、開放的な空間が意識されている。赤羽台団地住民の子供たちが通学していた赤羽台中学校は、2006年に閉校。その後、2017年に東洋大学赤羽台キャンパスへと生まれ変わった。キャンパスに足を運ぶ若い大学生たちが、赤羽の新たな活力として地域活性化を担う。

  • 赤羽台小学校跡地は、東洋大学のキャンパスに転用された。今後、赤羽の地域活性化の核になると期待されている

赤羽台と桐ヶ丘の二大団地群は、駅から西側に位置している。とはいえ、東西どちらの出口も人の流れは活発だ。赤羽駅は東西どちらにもロータリーがあり、バスのりばも設けられている。そのため、町の中心軸がどちらにあるのかすぐには判別できない。駅の西側は1970年代後半から再開発が始まり、パルロードと呼ばれる大規模商業施設が誕生。パルロードは3棟つくられ、専門店街やイトーヨーカドーのような総合スーパーなどが営業している。

対して、東側はJR系列のビジネスホテル「ホテルメッツ」や西友本社がある。こうした情勢から、現在の赤羽は東西どちらが街の中心であるかを簡単に言い表すことはできない。しかし、昭和期の赤羽を繁華街として牽引してきたのは東口側だった。戦後、都民の足として親しまれた都電は荒川線を残すのみとなっているが、荒川線は三ノ輪橋―赤羽間を走る27系統と早稲田―荒川車庫前間を走る32系統が統合されて誕生した。

  • 赤羽駅東口はにぎわいもあって、人通りが絶えない

27系統と32系統が統合された際に、王子駅前―赤羽間は廃止された。都電の赤羽停留所は赤羽駅とは別の場所にあり、現在の東京メトロ・埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅の場所にあった。そうした都電の停留所の位置からも、赤羽駅の東側がにぎわいの中心だったことが察せられる。都電の停留所と赤羽駅に挟まれた一画には、"一番街"という飲み屋街があり、一番街と隣り合うエリアに"OK横丁"という映画のセットと見紛うようなレトロ感が漂う飲食店が連なる小路もある。

  • 赤羽駅東口からすぐの場所にある一番街は、昼すぎから居酒屋が開き始める

  • 昭和の風情が残るOK横丁

近年、景気低迷という社会・経済状況を反映して安く酔える"せんべろ"が注目を浴びているが、赤羽は朝から飲める立ち飲み屋などもあり、一番街やOK横丁では昼すぎには暖簾がちらほらと見え始める。そのような一画がある一方で、赤羽駅の東側はスーパーや総菜が並ぶスズラン通りのような商店街もある。

  • 駅東口には、買い物に便利なアーケード商店街も健在

東京都の主要道路である環状7号線・8号線は、赤羽駅の近くを通っている。この道路下に環状の地下鉄を走らせようという計画は古くから存在し、それぞれメトロセブン・エイトライナーと呼ばれる。メトロセブン・エイトライナーは実現ハードルが高く、簡単には実現しないだろう。だが、これらが開通すれば、赤羽はいっそう鉄道の要衝地になる。それだけに、計画の進展が期待されている。

  • 都電の赤羽停留所と同じ場所につくられた赤羽岩淵駅

小川裕夫

静岡市出身。行政誌編集者を経て、フリーランスライター・カメラマン。取材テーマは、旧内務省・旧鉄道省・総務省が所管する分野。最新刊は『ライバル駅格差』(イースト新書Q)