2020年から感染拡大した新型コロナウイルス感染症によって、訪日外国人観光客は街から姿を消した。それまで年間4,000万人に迫るペースで増えていた訪日外国人観光客が消えたことで、成田国際空港はその姿を激変させた。

  • 芝山千代田駅は2002(平成14)年に開業した1面1線の高架駅

成田国際空港は1978(昭和53)年、新東京国際空港として開港。以来、日本と海外とをつなぐ玄関口として機能してきた。首都圏の国際空港ということもあり、その規模は当時から大きかった。しかし、開港までの道のりは決して平坦ではなく、建設はスケジュール通りに進まなかった。空港までの移動手段となる鉄道の計画も定まらなかった。

開港時から空港輸送を担った鉄道事業者は京成電鉄。当初開業した成田空港駅は空港敷地内にあったが、ターミナルまでは遠く、駅からバスに乗り換えることが一般的だった。重い荷物を持って鉄道からバス、そして飛行機へと乗り継ぐ必要があり、空港利用者からは不評だった。

アクセス面を改善すべく、1991(平成3)年に成田空港高速鉄道が開通。同社は第三種鉄道事業者として線路だけを保有、第二種鉄道事業者の京成電鉄とJR東日本が共同で使用する。成田空港高速鉄道の開通と同時に現在の成田空港駅が開業。翌年、空港第2ビル駅が開業している。

成田空港高速鉄道により、それまで京成成田駅から空港へ向かっていた路線は東成田線へ名称変更。成田空港駅も駅名を変更し、東成田駅となった。

  • 芝山鉄道は「日本一短い鉄道」として自社をアピールしている

成田空港の敷地は広大で、空港が東西地域を分断してしまう。分断されることになる芝山町への補償的な意味合いも含め、東成田駅から延伸する形で2002(平成14)年に芝山鉄道が開業する。東成田~芝山千代田間は1駅しかなく、駅間も約2.2kmと短い。そのため、芝山鉄道は「日本一短い鉄道」とのうたい文句で路線をアピールしている。

東成田駅は空港敷地内の地下にあり、東成田~芝山千代田間の大半は地下を走っている。地上へ出てくると、車窓は空港の整備場のような景色に変わり、遠目にジェット機が飛んでいる様子を見ることもできる。

整備場の端ともいえる場所に設置された芝山千代田駅では、自動改札機があるものの、いまでは当たり前に使用されているIC乗車券を利用できない。利用者は定期券・回数券・きっぷを購入して乗降している。そのあたりからも、利用者が多くないことを感じる。

  • 駅前のロータリーで乗客を待つ、町営のコミュニティバス

駅を出ると、駅前広場に立派なロータリーが整備されている。広々としたロータリーだが、町営のコミュニティバスが停車しているくらいで、行き交う人は見当たらない。駅前には数えるほどの店舗しかなく、それらもにぎわっているとは言いがたい。

ロータリーの反対側には、空港関連の企業や施設が並んでいる。厳重さを漂わせる高いフェンスが張り巡らされているが、とくに物々しさは感じない。どちらかというと「無機質な空間」といった表現のほうが正確だろうか。

  • はにわが駅前ロータリーに展示されている

  • 道路脇でもはにわに出くわす

空港にへばりつくように沿った県道106号を南へと歩くと、24時間営業の温浴・フィットネスジムなどの複合施設が見えてくる。はにわが沿道の至るところで展示されていることにも気づく。芝山町内に古墳があり、はにわが発掘調査で出土したことから、芝山町はまちおこしの一環として、はにわを全面的にPRしている。

はにわ博物館や古墳は芝山千代田駅から遠いため、歩いて行くことは困難だが、各所に点在するはにわを見ながら歩くだけでも古代ロマンに浸ることができる。

空港関連施設や物流倉庫などが並ぶ一帯を20分以上も歩くと、少し金色を帯びた仏像と真っ白な仏塔というインパクトの強い寺院が見えてくる。「成田平和仏舎利塔」と呼ばれ、1960年代から空港建設反対のシンボルとして建てられたという。その後、空港建設が進められることになり、両者による話し合いの下、現在地へと移転した。

  • 県道106号沿いにある「成田平和仏舎利塔」。後方に航空科学博物館の建物が見える

「成田平和仏舎利塔」からさらに5分ほど歩くと、航空科学博物館が見えてくる。同館は成田空港の建設に際し、芝山町から建設を要請されたミュージアムで、1989(平成元)年にオープンした。航空史において貴重な資料が展示され、航空事業を発展させるための教育施設としても活用されている。

航空科学博物館では、屋内・屋外に多数の機体を展示・保存しており、実際に見て触れて学ぶことも可能。近隣の保育園・幼稚園や小学校の課外授業にも活用されるという。

  • 航空科学館では、おもに成田国際空港に就航しているジェット機などを展示。航空機全般についても学べる

  • 空港建設までの紆余曲折を展示した「空と大地の歴史館」

駐車場を挟んだ隣接地に「成田空港 空と大地の歴史館」がある。こちらは空港建設の歴史を伝承として記録するミュージアム。成田空港は現地住民から猛烈な反対があり、建設は計画通りに進まなかった。

近年、空港建設推進派と反対派が歩み寄り、協力して地域の発展に尽くすことが話し合われるようになった。「成田空港 空と大地の歴史館」は、時間とともに忘れられていく成田の負の歴史を伝え、未来へと発展的につなげる伝承的な役割を果たしている。

  • 「ひこうきの丘」からは、頻繁に離着陸する航空機の姿を間近で見られる

  • ハート型のオブジェも展示されている

2つの博物館から丘を登っていくと、「ひこうきの丘」が見えてくる。公園のような空間にハート型のオブジェが設置されているだけで、遊具等はなにも見当たらないが、すぐ目の前に成田国際空港の敷地が広がっている。丘からは空港を離着陸する航空機を見ることができ、航空ファンが足繁く通う撮影名所にもなっている。

新型コロナウイルス感染症の影響で、空港を離着陸する飛行機は減少したが、飛んでくるジェット機が間近に見えるので、飛行機が好きな人なら興奮することは間違いない。

  • 高架下から見た芝山千代田駅の駅舎

空港開港にともない、周辺地域は激動の時代を経験することになった。現在は成田国際空港と共存し、国際化に向かって走り出している様子がうかがえた。