2021(令和3)年3月11日、東日本大震災から10年の節目を迎えた。東日本大震災は未曾有の災害として記録されるが、10年の歳月を経て、被災地は着実に復興へと歩んでいる。現在、新型コロナウイルス感染症の拡大という新たな災禍に見舞われているものの、これにも打ち勝つことだろう。
同様に、短期間で災禍が頻発しながらも、不屈の精神で立ち上がってきたのが福井県福井市だ。
福井市は1945(昭和20)年に福井空襲を経験し、市街地は灰燼に帰した。1947(昭和22)年、戦災復興に着手し、インフラの復旧を進めるとともに、復興博覧会を開催して市民の機運も醸成。官民が一丸となる下地を整えていった。
しかし翌年、1948(昭和23)年6月に福井震災が発生。戦災で住宅を失った住民たちはバラックを住処としていたため、火の手が市街を焼き尽くすまでに時間を要しなかった。追い打ちをかけるように、翌月には集中豪雨が発生し、九頭竜川が決壊。福井市内にあった多くの家屋で冠水被害を出した。
福井市は、わずか数年の間に大災害を3度も経験するという前代未聞の事態に直面した。だが、これらの災禍にも意気消沈することなく、復興を進めていった。
こうした不屈の精神を語り継ぐため、福井市はフェニックスを市民憲章に採用。不死鳥になぞらえられるフェニックスに、福井市の何度でも復活するという意志が込められた。現在、福井市内には「フェニックス通り」と命名された道路をはじめ、公共施設や民間のビルなどにも「フェニックス」の名称が見られる。
ところで、災禍の頻発によって何度もまちづくりをやり直すことになった福井市だが、福井城を中心軸に据えていることは不変だ。
福井城の変遷をたどると、戦国時代に越前国を統治した朝倉氏は一乗谷を拠点にしたが、織田信長の家臣だった柴田勝家が越前を拝領すると、北ノ庄に居城を移した。その後、北ノ庄を中心に開発が進められたが、江戸時代になると徳川家康の次男、結城(松平)秀康が統治することになり、居城が移されている。
その後、北ノ庄の「北」が敗北につながるとして忌避され、「福居」と改名。転訛して「福井」になった(改名の経緯は諸説あり)。こうした来歴を経て、現在に至る。
福井駅には東口と西口があり、現在は駅の西側に市街地が広がる。北ノ庄城も福井城も駅の西側にあった。柴田勝家が治めた当時の北ノ庄城は、いまや城としての面影をほとんど残していないが、跡地は公園として整備され、柴田神社が創建されている。
その一角に、柴田勝家像やお市の方像、茶々(後の淀殿)・初・江の三姉妹像もある。東京国立博物館特任館長などを務めた日本画家、故・平山郁夫が揮毫(きごう)した碑も公園内に残る。
柴田勝家の築いた北ノ庄城は、築城から時間を経ずに役目を終えた。秀康の治世になると、城は北へ移り、これが福井城として長きにわたり使用される。
言うまでもなく、江戸時代までの福井城は政庁としての機能を有していた。現在も福井城の中に県庁舎があり、濠を挟んで市庁舎も建つ。江戸から令和という時を経ても、政治の中心地が不動のまま。これはかなり珍しいケースで、福井市において福井城が特別な存在であることをうかがわせる。県庁舎の前には、福井藩の初代藩主として崇められる秀康の像が建立されている。
福井城址には県庁舎のほか、福井県警本部などの機関もある。一方で、市民が気軽に利用できる公園として一般開放されている。公園内には、ボール遊びもできる広場や、レジャーシートを広げられる芝生広場などがあり、その一角に、福井市の初代公選市長に就任し、3つの戦災・災害復興の指揮をとった熊谷太三郎と、父・三太郎の胸像が並ぶ。
熊谷三太郎は飛島組(現・飛島建設)で建設・土木業に従事し、戦前に貴族院議員も務めた名士だった。息子の太三郎も飛島組で働き、後に父子で独立し、熊谷組を創業。熊谷組は福井を代表する企業に成長した。
福井といえば、幕末・明治期に開明的な藩主とされる松平慶永(春嶽)により、傑出した志士を多数輩出したことでも知られる。幕末に福井藩が輩出した多くの志士は、明治新政府発足後も政治と関わり続けた。そうした逸材がそろう中、異色の活躍を見せたのが美術評論家・思想家の岡倉天心だ。
岡倉は横浜に生まれ、東京で生活を送った。晩年は茨城県を拠点に活動しているので、福井との縁は薄いように思える。しかし、岡倉の父は福井藩士で、横浜に滞在していたのも藩命によるものだった。そうした由縁から、福井市内には岡倉天心像が点在。福井市役所の近くに広がる中央公園内にも、岡倉天心像が建てられている。
福井城から北へ10分ほど歩くと、福井藩主の別邸だった養浩館が見えてくる。江戸初期に整備され、いまでも美しい庭園を楽しめる。
現在、福井県の人口は約76万人で、県庁所在地である福井市の人口は約26万人。全国に占める福井の人口比率は低く、経済規模も小さい。ゆえに存在感は決して大きいとは言えない。
それでも、シンクタンクなどが調査・発表している各種の幸福度ランキングで、福井は1位を独走し続けている。昨今の東日本大震災や新型コロナウイルス感染症といった災禍により、これまでの価値観は大きく揺れ動いている。経済一辺倒の指標は時代遅れになりつつあるだけに、幸福を追求する「福井モデル」に注目が集まる。