徳川家康を総大将とする東軍と石田三成が率いる西軍が激突した関が原の戦いは、誰もが知る歴史的な合戦だ。その舞台に隣接する岐阜県大垣市は、人口16万人を要する西濃エリアの拠点として発展を遂げてきた。しかし、県庁所在地ではない。そうした事情から、その存在感・知名度は際立って大きいとまでは言えない。
また、天下分け目の決戦地として関が原の名は知られるが、江戸期から明治維新まで大垣藩主を務めた戸田氏は戦国武将としてメジャー級ではなく、それゆえに大垣は歴史ファンが大挙して訪れるほどの観光地にはならなかった。
一方、鉄道ファンにとって大垣はメジャー級の知名度を誇る。
なぜなら、長らく東海道本線で大垣夜行が運行されてきたからだ。大垣夜行は特急料金不要の普通列車として、多くの人に利用された。それは、後継の快速列車"ムーンライトながら"になっても変わらなかった。特に、青春18きっぷをフル活用する乗り鉄には重宝され、大垣駅は"ムーンライトながら"の「終着駅」として広く認識されていた。
早朝に大垣駅へ到着する"ムーライトながら"は、すぐに滋賀県の米原駅行電車と接続する。そのため、"ムーンライトながら"から乗り換える乗客たちが座席を確保しようと大垣駅構内を全力疾走する光景が繰り広げられる。これは、鉄道ファンの間で、"大垣ダッシュ"と通称されるほどの語り草になっていた。
"ムーンライトながら"の終着駅のほか、大垣駅は東海道本線や美濃赤坂支線・樽見鉄道・養老鉄道などが発着する鉄道の要衝地でもある。
鉄道ファンにはお馴染みの大垣駅だが、実際に下車したことがあるファンは多くない。まして、駅周辺に何があるのかを知っている鉄道ファンはかなり少ない。大垣駅は駅を挟んで北口と南口に街が二分されている。大垣城があるのは南口側で、市街地も南口側に広がる。
大垣経済を牽引する存在として知られるのが、地銀の大垣共立銀行だ。県都・岐阜市を地盤とする十六銀行に対抗心を燃やす大垣共立銀行は、斬新なサービスを次々に打ち出して金融界の風雲児として耳目を集めてきた。現在では当たり前になっている、地銀の県外進出は1970年代から大垣共立銀行が率先して取り組んできた。そうしたことから、大垣共立銀行は今でも大垣市にとって別格の存在として君臨する。
大垣共立銀行と並び、大垣経済界を牽引してきたのはヤナゲン百貨店だ。ヤナゲン百貨店も駅の南に位置している。百貨店業界が苦境に陥る今般、ヤナゲン百貨店も例外ではなかった。生き残りを模索して、ヤナゲン百貨店はスーパーマーケット大手の平和堂の傘下に入った。事業再編のため、市の中心部に位置していた大垣本店は2019年8月末をもって閉店することが決まっている。
繁華街は主に駅の南側に広がっているが、南北どちらにも広場が開設されている。一見すると、どこの駅前でも目にするような何の変哲もない広場のように思える。しかし、大垣駅の広場は前面的に"水"を推しているところに特徴がある。
揖斐川・長良川・木曽川の木曽三川に囲まれていた大垣は、水害が繰り返し発生し、住民たちを苦しめた。水害からの備えとして、領主や住民たちは地域を取り囲む堤防を築造。堤防内に輪中と呼ばれる集落が形成された。輪中の干拓で生まれた街のため、地面を掘ればすぐに地下水が湧く。そのため、大垣は"水の都""水都"を自認するようになる。
駅前広場のみならず、市内の公園には噴水やせせらぎといった水を活用した設備が当たり前のようにある。それも、"水の都"たるゆえんだ。また、大垣銘菓「水まんじゅう」は豊富な水を最大限に活かしてつくられている。大垣はメジャーな戦国武将を輩出しなかったが、俳句界のスーパースター・松尾芭蕉の代表作『奥の細道』の結びの地でもあり、市内のあちこちに芭蕉が詠んだ句碑が建立されている。
2012年には、「奥の細道むすびの地記念館」を開館。芭蕉を盛り上げるため、2019年は芭蕉が奥の細道に旅立った330周年にあたる節目として、ゆかりの深い東京都荒川区・宮城県松島町・山形県最上町などと連携して記念事業を実施している。
大垣駅の北側は長らく再開発計画が浮上しながらも、思うように進んでいなかった。また、再開発計画と同時進行で市町村合併問題が浮上。合併問題も大垣駅北口の再開発計画にも大きな影響を及ぼした。そうした理由から、再開発計画は二転三転。それでも、2009年に南北自由通路が完成して、再開発エリアには大型商業施設や病院などが整備された。
名古屋や大阪といった大都市の中間に位置する大垣は、鉄道や道路が整備された現在においてにぎわいを奪われる苦しい立場にある。それでも、東海道本線の要としての役割は変わらない。今年、大垣駅を発着する美濃赤坂支線が開業100周年、養老鉄道も全線開業100周年を迎える。これを機に、大垣駅に注目が集まっている。