池袋駅は、西武鉄道池袋線や東武鉄道東上本線のほか、JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、東京メトロ丸ノ内線、有楽町線・副都心線など、頻繁に電車が発着する。そのため、池袋駅界隈は多くの人が行き交う繁華街としてにぎわっている。

駅前に西武百貨店が本店を構えるなど、特に西武は池袋の発展に力を入れてきた。そのため、池袋駅は西武の牙城ともいえる雰囲気を醸し出している。西武グループが運営する遊園地「としまえん」は、池袋駅から電車で約15分の近距離にある。としまえんは西武池袋線の練馬駅からキロメートルほど分岐した豊島線という支線に乗って、そこから一駅。豊島園駅が最寄駅だ。

  • 池袋駅から乗り換えなしでアクセスできることもあって、東京都民や埼玉県民などから近場の遊園地として根強い人気を誇る豊島園駅

    駅名通り、豊島園駅を出ると目の前にとしまえんがある

豊島園駅は池袋線ではないが、池袋駅発の電車が、そのまま豊島線に乗り入れる。池袋駅から乗り換えなしでアクセスできることもあって、東京都民や埼玉県民などから近場の遊園地として根強い人気を誇っていた。このほど、としまえんが閉園を発表。夏休み終了の8月31日が最終営業日になる。ラストシーズンとなる2020年夏は、残念なことに新型コロナウイルスの感染拡大が心配されている時期にあたり、来園者には検温やマスク着用、アルコールによる消毒などが呼びかけられている。

友人や家族など多人数で来園することや、大きな声ではしゃいだりすることは控えさせられる雰囲気があり、これまでのように思う存分は楽しめないかもしれない。また、プールなどは衛生・防疫から心理的に使用しづらい面もある。そうした要因を抱えているものの、ラストサマーをエンジョイしようとする来園者は少なくない。

  • ラストサマーを迎え、家族連れやカップル友達同士で遊びにきた来園者が入り口で列をつくっている

としまえんの前身である「練馬城址 豊島園」は、1926年に部分開園。翌年に全面開園を果たした。練馬区に所在しているのに豊島を名乗っているのは、鎌倉時代から豊島氏が同地を統治していたことが由来になっている。終着駅の雰囲気がある豊島園駅から外に出ると、すぐ目の前にとしまえんがある。駅ととしまえんの間に整備された小さな駅前広場では、グループや恋人らしき人たちが待ち合わせをしている姿が目立つ。彼ら・彼女らは、しきりにスマホ画面を見つめ、操作をしている。おそらくLINEなどで連絡を取っていると思われるが、そうした光景は今という時代を反映したものといえるだろう。

昭和初期に開園した当時のとしまえんは、自然を活かした景観を売りにしていた。来園者は風光明媚な庭園を愛でて心を癒し、運動場で体を動かして気分を一新させていた。 としまえん名物になって久しい回転木馬のカルーセルエルドラドやプールのウォータースライダーなどは、開園時から設置されていたわけではない。全面開園後もとしまえんはリニューアルを繰り返しながら、最新アトラクションを整備。それが時代の最先端の遊園地として評判を呼び、来園者を魅了してきた。そうして、としまえんは昭和・平成を生き抜く。

  • 駅前広場には、楽しげな雰囲気を伝える看板もある

豊島園駅は、目の前にあるとしまえんがどうしても目立つ。しかし、駅周辺はとしまえんのほかにも多くのレジャースポットがある。としまえんに隣接する「豊島園 庭の湯」は、2003年にオープン。これは都営大江戸線を建設する際、地中測定によって温泉が発見。建設で地中を掘る必要があったため、それを温泉として活用した。

としまえんは若年層を意識した遊園地であるのに対して、お湯につかりながら隣接した庭園を眺めることができるリラクゼーション空間は、中高年層をターゲットに据える。今夏でとしまえんは閉園するが、今後も庭の湯は営業を続ける。庭の湯のさらに奥には石神井川が静かに流れ、そのあたり一帯は住宅街になっている。遊園地の喧騒は届かない。

同じくとしまえんに隣接する「ユナイテッドシネマ としまえん」も、欠かせないレジャースポットのひとつといえるだろう。シネマコンプレックスは効率的な集客を考慮して、商業施設に設けられる傾向は強い。しかし、同館は複合施設にはなっていない。それは、としまえんという集客力を有する巨大遊園地が隣接していることも無関係ではないだろう。

  • としまえんとともに地域のレジャースポットとして多くの人を惹きつけるユナイテッド・シネマとしまえん

西武の豊島園駅から商店がひしめき合う小さな路地を抜けると、都営大江戸線の豊島園駅がある。こちらは1991年に開業したが、当初の都営大江戸線は光ヶ丘駅―練馬駅間だけを行き来する路線だった。都心部とつながっていない路線なので利用者は決して多くなかったが、2000年に環状部分が開業。都心部へのアクセスが飛躍的に向上し、大江戸線の利用者は増加した。それに伴い、大江戸線を利用する来園者も増加していった。

  • 都営大江戸線によって、都心部と地下鉄で直結。飛躍的にアクセスが向上した

都営大江戸線の豊島園駅を抜けた先には、十一ヶ寺と通称される田島山十一ヶ寺が並ぶ。十一ヶ寺の周辺には、としまえんや周辺の雑踏とは明らかに異なる空間が広がる。寺院が並ぶ様子は、まるで寺院の団地。その寺院へ通じる道路の入り口には、碑が建立されている。そこから先は、なんとなく入りづらい雰囲気も感じられる。しかし、道路は公道だから特に進入することは禁じられていない。

  • 田島山十一ヶ寺の入り口。としまえんとは異なる雰囲気を放っている

  • 田島山十一ヶ寺が並ぶ通りのつきあたりには阿弥陀如来が鎮座

道に並ぶ各寺院は見所があり、紅葉のシーズンには多くの見学者が十一ヶ寺を訪問する。また、突き当たりには阿弥陀如来が建立されている。これらの寺院は、もともと浅草にあったが、関東大震災により焼失。再建にあたり、同地に移転してきたという。十一ヶ寺は豊島園駅の東側に立地しているが、駅の南西には城南住宅と呼ばれる閑静な住宅街がある。

緑が豊富で高級住宅街然とした城南住宅は、関東大震災後に移転してきた十一ヶ寺と同様、関東大震災を機に造成された。もともと城南住宅の計画は関東大震災前から浮上していたが、震災復興で住宅需要が急増。それが計画を後押しした。

城南住宅の造成が始まった頃、としまえんは開園していない。田んぼが広がるだけの農村だった一帯に、わざわざ移転してまで住居を構えようと考える人は少なかった。そこで住宅地造成の発案者だった小鷹利三郎は、自分が医者であることから医者仲間に声をかけて居住者を集めた。また、小鷹は山形県米沢の出身だったので、そうした縁も活用した。こうして、城南住宅は職業別なら医者、出身地別なら山形が多くを占めることになった。城南住宅の中核に位置する練馬区立向山庭園は、かつて鉄道大臣を務めた江木翼の邸宅地を1980年に再整備し、公園地としてオープンさせたものだ。

  • 向山庭園には、茶室をのほか多目的室や和室があり、練馬区民以外の人でも利用できる

  • としまえんから向山庭園への道の途中には、遊具を保管する資材置き場がある

山形県出身でもなく医者でもないが、江木は城南住宅に邸宅を構え、地元の名士として生活を送った。向山庭園は、近隣住民の憩いの場として活用されている。閉園後のとしまえんは、東京都が跡地を公園として整備する方針にしていた。しかし、西武との話し合いで折り合わず、跡地はハリー・ポッター関連のテーマパークを整備する計画に変更された。東京都が進める防災公園計画は、残りの部分で整備するという。開園から約一世紀。としまえんは多くの思い出とともに幕をおろす。

  • 8月31日の最終営業日をもってお別れとなるとしまえん

小川裕夫

静岡市出身。行政誌編集者を経て、フリーランスライター・カメラマン。取材テーマは、旧内務省・旧鉄道省・総務省が所管する分野。最新刊は『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)。