首都圏の大動脈でもある山手線に、約半世紀ぶりとなる新駅「高輪ゲートウェイ駅」が2020年3月14日に開業した。 駅名発表時から多くの話題をふりまいてきた同駅は、品川駅−田町駅間に開設。山手線のほか、並走する京浜東北線も停車する。
もともと同駅周辺には東京総合車両センターが広がり、多くの車両が留置できる空間的余裕があった。そうした車庫の機能を整理統合することで、再開発用地を捻出。同時に新駅を開設して、周辺の都市開発を加速させる目的があった。
新駅名称の高輪ゲートウェイは、山手線らしくない。そのため、斬新すぎるとの前評判も強かったが、それらが逆に話題を呼び、同駅の存在感を際立たせる。新駅は、新国立競技場も設計した建築家・隈研吾氏が担当。木材をふんだんに取り入れた屋根などは、最近の建築トレントを取り入れたデザインになっている。
また、隈氏の提案により、駅名標のフォントは明朝体が採用された。明朝体は日本人に馴染みの深いフォントであり、和風を意識したデザインとの親和性が高いことが採用理由とされている。
しかし、明朝体は横棒が細い字体のため、視覚障害者などが表示を認識しづらいという欠点がある。今般、段差の解消だけでなく、多言語化や音声案内、点字ブロックなど、あらゆる分野で交通のバリアフリーが進められている。駅は誰にとっても使いやすい空間として整備されるのが理想で、民間所有の施設とはいえ徹底的にバリアフリー化に取り組まなければならない施設でもある。
JR東日本が制定するサインマニュアルでは、明朝体の使用を制限していない。そのため、明朝体の駅名標は問題ないとのようだが、さらなる使い勝手の向上を考える上で課題として残ったことは事実だろう。
鳴り物入りで開業した高輪ゲートウェイ駅だが、開業日を除けば利用者数はまだ多くない。その理由は、新型コロナウイルスの蔓延しているために、そもそも鉄道の利用者そのものが減っていること、そして今回の開業があくまでも暫定的なものであることが挙げられる。JR東日本は、本格的な開業を4年後の2024年に想定し、それまで段階的に駅前を整備する方針を表明している。高輪ゲートウェイ駅は、いまだ発展途上の駅というわけだ。
現在の高輪ゲートウェイ駅には改札口が一か所しかなく、駅前に予定されていたイベントスペースも新型コロナウイルスの感染拡大に伴って整備スケジュールに遅れが生じた。そのため、いまだ高輪ゲートウェイ駅の駅前ロータリーは無味乾燥な雰囲気が漂っている。
駅の上空には、ひっきりなしに飛行機が往来する。2020年、羽田空港は発着本数を増やすべく、滑走路の使用方法を変更するとともに飛行経路を見直しした。そのため、飛行機が新宿から六本木上空といった高層ビルが立ち並ぶ都心部を通過して羽田空港へ離着陸するようになった。そうした経緯から、高輪ゲートウェイ駅の上空にも飛行ルートが設定されている。高輪ゲートウェイ駅のロータリーからは、羽田空港から離着陸する飛行機を間近で見ることができる。高輪ゲートウェイ駅が羽田空港と至近距離にあることを感じさせる一方で、どことなく新時代の玄関口を担う未来を彷彿とさせる。
そんな未来感のある高輪ゲートウェイ駅だが、駅周辺は江戸時代の面影を残す歴史のある街だ。駅前ロータリーを出ると、すぐに通行量の激しい国道15号線(第一京浜)に行き当たる。国道15号線の真下には、都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅がある。
高輪ゲートウェイ駅の開業で、泉岳寺駅からの乗り換え需要が見込まれている。東京都は泉岳寺駅と高輪ゲートウェイ駅の乗り換え需要増大に対応するため、泉岳寺駅のホーム拡幅に着手。現在、急ピッチで工事が進む。
国道15号線を北へ進むと、高輪橋架道橋下区道が見えてくる。現在の高輪ゲートウェイ駅は改札口がひとつしかなく、駅の東側に出ることはできない。線路が街の東西を分断しているため、地勢的に東西の往来は高輪橋架道橋下区道を利用するしかない。しかし、この高輪橋架道橋下区道は天井の高さが約1.5メートルと低く、そのために自動車がスピードを出して走り抜けようとすると頭をぶつけてしまう。タクシーの屋根上部に乗っている「ちょうちん」を破損する"事故"が起きることでも有名な道路のため、高輪橋架道橋下区道は「ちょうちん殺し」の異名がつけられている。
高輪ゲートウェイ駅が本格開業する2024年までに駅の東西を結ぶ自由通路が造成されることになっており、この完成をもって高輪橋架道橋下区道の廃止が決まっている。ドライバーにとって厄介な「ちょうちん殺し」がなくなることは歓迎だろうが、地元の名所でもある「ちょうちん殺し」がなくなってしまうのは一抹の寂しさを感じる人も少なくないだろう。
国道15号線をさらに北へ進むと、高輪大木戸跡がある。高輪ゲートウェイの由来にもなっている高輪大木戸は江戸時代に防犯・防衛の要として街の入り口に設置された、簡易な関所だ。大木戸跡をさらに北へと進むと、江戸時代の高札場だった札の辻交差点が見えてくる。国道1号線と国道15号線が交わる札の辻交差点は、江戸時代から令和にいたる現代まで常に交通の要衝地を担ってきた。
札の辻交差点には歩道橋が架けられており、歩道橋の上から目線を西へと向けると奇抜な形をした建物が目に入る。札の辻交差点に面している高層ビルは建て替え工事の真っ最中で、現在は取り壊されている。その向こう側に立っているクウェート大使館が、一時的に全体を見渡せるようになっているのだ。
クウェート大使館は"世界のタンゲ"こと、建築界の巨匠として知られる丹下健三が設計した。2005年に生涯を閉じた丹下健三は、今年で没後15年を迎えた。クウェート大使館は耐震不足や老朽化を理由に建て替えられることが決まっている。丹下がつくったクウェート大使館を存分に堪能できる時間はわずかしか残っていない。羽田の新ルート、泉岳寺駅のホーム拡幅、高輪橋架道橋下区道の廃止、クウェート大使館の建て替えなど、次世代の駅を標榜する高輪ゲートウェイ駅は、図らずもその周辺に新陳代謝を促している。