前回は、イノベーションの元となるコトづくりについて紹介しました。今回も引き続き、コトについてのお話です。
どうすればイノベーションは磨かれるのか? この疑問を分かりやすく説明するため、コトの二面性に焦点を当ててみます。仕事は矛盾の固まりともいえます。仕事をするうえで大切なことについて、以下のような対極にある概念が思い浮かびます。
コトの二面性に注目する
短期的視点と長期的視点
私たちは仕事において、短期的視点で考えてしまいがちです。締め切りがあり、やらなければいけないことは満載です。しかし、短期的視点に終始してしまうと、長期的なキャリア開発などの目的がおろそかになってしまいます。
凝集性と多様性
凝集性(一体感)を高めることは、仕事を一気に進めるうえでは極めて有効です。一方、さまざまなものの見方や考え方を受け入れ、多様性を担保しないと、イノベーションを起こすことはできません。
顧客と効率
仕事において顧客は第一に優先されるべき存在です。顧客のために、時には効率無視の行動も重要ですが、一方で効率を考えなければ仕事とはいえません。経済成果を得られなければ、それは仕事ではなくボランティアです。
競争と調和
競争を促進することは重要です。全ての仕事は何かしらの競合との競争にさらされているといってもいいでしょう。一方で調和も必要です。この時代は一人勝ちではなく、WIN-WINの関係が求められます。
価値とコスト
仕事をするうえで、価値の追求は徹底すべきです。顧客は価値を購入しています。一方でそこにはコストパフォーマンスという考え方があるべきです。ひとつの価値に対して無限にコストを支払う顧客は存在しません。
このように仕事には常に二面性があります。コトの本質を捉えるために、その両極を考え抜く必要があるのです。
虫の目・鳥の目を活用する
虫の目、鳥の目とはどういうことでしょうか? JR東日本やトヨタ自動車のイノベーションからイメージしてみましょう。
駅の存在価値を、従来の輸送に伴う通過点から、集う場所というコンセプトに変え、JR東日本の事業イノベーションともいえるステーションルネッサンス活動は始まりました。それは虫の目・鳥の目で鉄道事業を見直した結果、見えてきた世界ということもできます。
駅構内のショッピングゾーン、エキュート。今では各地の駅に造られ、すっかり、おなじみとなりました。集う駅に必要なものは何かを考えるとき、エキュートの開発者であった鎌田由美子氏は、始発から終電まで大宮駅に3日3晩立ち通して乗客の様子を観察します。
鎌田氏は百貨店への出向経験が豊富で、JR東日本では珍しい人材でした。そこで、百貨店と違って、お客様が立ち止まらないというショッキングな事実にぶち当たります。これがまさに、虫の目で現地・現物・現場・現実を観察し続けたからこそ得られた知見です。
そして、鳥の目で、駅を集う場所として位置づけし直します。人々が通過する場所ではあるものの、見方を変えると集っているともいえるのです。
事業コンセプトや実際のサービスを考えるときには現場での手触り感を重視して具象に徹する。エキュートは、虫の目と鳥の目があって初めて成し得たイノベーションなのです。
イノベーションの多くは既存事業の根本価値を問い直すことで生まれます。そのためには、鳥の目と虫の目を駆使し、抽象と具体の間を行き来しながら本質に迫ることが重要です。そうすることで、自社の事業が過去から現在に至る時間軸上で把握することができます。そのことが、現在から未来を創りだすイノベーションに結びつくのです。
業界にイノベーションを起こしたソニー生命
生命保険業界のイノベーションをおこしたソニー生命の設立に尽力した安藤国威氏は、既存の生命保険の逆を考え抜きます。安藤氏は生命保険業界の何を、どう逆張りしたのか? 安藤氏はこう語ります。
「生命保険は購入したらすぐに役立つものではありません。むしろ役立たないほうがいいのかもしれませんが、いつかは必ず役立つ。その役立ち度をどう最大化するか。そのためにはお客様のニーズをよく聞いて、個別に商品を設計する必要があるのです。
ところが、それまでの生命保険は、そうしたお客様の個別事情はあまり考慮されず、パッケージ製品を売るようなものでした。いわば、商品の中身に納得し"理"で購入するのではなく、営業員の"情"やお付き合い、横並び意識で購入するイメージです。その構造を変えるために、ライフプランナーというプロフェッショナルを誕生させたのです」。
情に対する理の逆張りというわけです。
業界の常識にあらがう
ソニー生命の営業社員は、設立当初は他業界で営業実績のある人材をヘッドハントして採用しました。正社員雇用でした。洋の東西を問わず、当時保険外交員は「回転ドア」と言われていました。入る人がいたら出ていく人がいる、人の入れ替わりが激しい業界であり、契約社員がごく普通でした。
ソニー生命のライフプランナー制度はこの"常識"にもあらがったものです。「ライフプランナーは社員ですが、単なるサラリーマンではなく、起業家精神をもった一人のプロフェッショナルとして遇しています。会社の中の部下の多さではなく、お客様への貢献度で報酬と地位を決定する。スポーツ界では監督より高い年棒をもらっている選手がいるのが普通ですが、それと同じ構造になっています」。
契約社員に対する正社員・プロフェッショナルの逆張りといえます。
安藤氏が仕掛けた逆張りのイノベーションはみごと実を結びました。ソニー生命はライバルひしめくレッド・オーシャンではなく、悠々自適の航海が可能なブルー・オーシャンにこぎ出すことができたのです。業績も順調で、大手生保の一社に数えられるようになりました。
27名で出発したライフプランナーは今や数千名の大所帯です。ライフプランナーという言葉も保険外交員を指す言葉として定着してきていますが、実はソニー生命およびプルデンシャル生命のみが使える登録商標なのです。
「保険に未知なソニーと日本に未知なプルデンシャルが一緒になったからではないでしょうか。未知と未知との掛け合わせが大胆な発想を生み、業界の常識を覆すすばらしい結果を生んだわけです」。そう語った安藤氏の言葉が強く残っています(取材時)。
執筆者プロフィール : 井上功(いのうえ・こう)
リクルートマネジメントソリューションズ エグゼクティブコンサルタント
1986年リクルート入社、企業の採用支援、組織活性化業務に従事。2001年、HCソリューショングループの立ち上げを実施。以来11年間、リクルートで人と組織の領域のコンサルティングに携わる。2012年より現職。イノベーション支援領域では、イノベーション人材の可視化、人材開発、組織開発、経営指標づくり、組織文化の可視化等に取り組む。