イスラエルのオタクたちが大集結した「Harucon 2010」の狂乱から一夜明け、イスラエル取材は後半戦の4日目へ。この日は日本人留学生の鈴木さんの案内で、イスラエル最大の総合大学、テルアビブ大学を訪れ、日本語クラスの授業を見学させてもらう予定だ。そこでは日本人講師の山森みか先生が長年、生徒たちに日本語を教えている。

テルアビブ大学は、テルアビブ北部のこのあたり。地図の東側が第2回で行ったペタク・チクヴァ。南東にあるのがベングリオン空港

Haruconを終え、テルアビブ大学の学生寮の一室にて起床。いろいろ荷物が散らかった状態ですみません

鈴木さんたちの部屋のダイニング。机にはトースターやワイン瓶などが並んでいる

洗面所はこんな感じ。この大学寮は新築されたばかりなので、全体的にこざっぱりとしている

トイレはこんな感じ。イスラエルでは壁の大きなボタンを押して水を流すタイプが主流

鈴木さんといざ登校。大学寮の出入口にはゲートが設けられており、警備員も立っていた

こちらが学生数約3万を誇るテルアビブ大学。奥の建物はコーヒーショップらしい

大学入り口のすぐ近くの壁には、ユダヤ人学者の代表的存在、アインシュタインのウォールアートも

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大学構内を歩いてみる。右側の白い建物がユダヤ人離散の歴史を残したディアスポラ博物館、奥の茶色い建物が大学図書館

山森先生に会いに東アジア学科の研究室へ。ちなみにイスラエルでは兵役を終えてから大学に進学するので、大学生は25歳前後が多い

旧約聖書学を専攻する山森先生が初めてイスラエルを訪れたのは1986年。イスラエルには1994年から住み移り、ユダヤ人のご主人と結婚して、ふたりのお子さんも育てている。1995年にはテルアビブ大学の人文学部に東アジア学科が新設され、山森先生はそこで毎年80人ほど入学してくる学科生に日本語を教えている。

また、先生は大学で教鞭を取る傍ら「非日常の国イスラエルの日常生活」という個人サイトに日記をアップしており、そこには硬軟織り交ぜたイスラエルでの話題が、実生活に根ざした形でわかりやすく記されている。驚きの多いイスラエル取材だが、筆者があまり偏った先入観を持たずに済んでいるのは、山森先生のテキストである程度、予習できたことが大きい。イスラエルに興味を持った方には、ぜひ一読をおすすめする。

山森先生は現在でもイスラエルと日本を行き来しているとあって、日本のポピュラーカルチャーにも我々と同じように馴染んでいる。ジブリアニメや少女マンガはもちろん、学生からすすめられれば『鋼の錬金術師』や『ヘルシング』も鑑賞するし、最近ではジャニーズからニンテンドーDSの『ドラゴンクエストIX』まで嗜んでいるほどだ。授業で使われているテキストもなかなか幅広い。村上春樹(『UFOが釧路に降りる』)、吉本ばなな(『とかげ』)、俵万智(『サラダ記念日』)といった文学作品のほか、西原理恵子の『上京ものがたり』や、いがらしみきおの『ぼのぼの』といったマンガ作品、また今年の授業では、ドラマ版『のだめカンタービレ』も活用されている。

お会いできた山森みか先生に早速『メガミマガジン』を進呈。なぜか『ラブプラス』と『ときめきメモリアルGirl's Side』の話で盛り上がる

授業が始まった。1コマの授業は日本の大学とほぼ同じ90分。日本語を選択した学生は、週3コマの授業が2年間必修となっている

この日の授業に集まった生徒は10人ほど。授業は生徒が順番に日本語のテキストを読み、ポイントとなる日本語の表現を先生が解説していくという、オーソドックスなスタイルで進んでいく。この日の受講者はオタクっ気が薄めだったが、昨今の例にもれず山森先生の日本語クラスでも、アニメやマンガがきっかけで、日本語を学ぼうとする生徒は増えてきているらしい。彼らは自主的にどんどん日本語に触れていくので、上達が早いのだそうだ。確かにニコニコ動画とアニメを見まくって覚えたオレグの日本語は、スラング混じりでもかなりうまい。昨日のHaruconの会場でも片言なら日本語を話せる中高生は何人かいたし、アニメやマンガはイスラエル人の日本語能力を確実に向上させているようだ。もっとも生徒たちが「『セーラームーン』のこの言葉がわかりません」と質問に来たりするのは、さすがに山森先生もちょっと困るそうだが。

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日本語クラスの授業風景から。吉本ばななの『血と水』を読み進めていく。ノートパソコンを持参している生徒も

さっき先生に進呈した『メガミマガジン』が生徒さんたちの間を巡回中。もしかしたらものすごくいけないものを見せてしまったのかもしれない……

『メガミマガジン』だけでは日本が誤解されるので、渋めの散歩マンガ『散歩もの』も進呈。本当は『孤独のグルメ』を布教したかったが、急いで準備したので間に合わず

授業後カフェで生徒さんたちとおしゃべり。『もののけ姫』『崖の上のポニョ』『タイガー&ドラゴン』『リング』『のだめカンタービレ』、黒澤明、小津安二郎、伊丹十三、三池崇史といった作品や人物が人気

カフェで頼んだコーヒーと、チョコレート入りのクロワッサン。何の変哲もないメニューだが、やたらとうまい。左下の箱は「MUST」というガム

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昼時の学食。マクドナルドの看板には「コシェル(Kasher)」という表示があり、ユダヤ教の規定に従ったメニューが用意されている

授業が終わり、昼休みを挟んで研究室で山森先生にお話をうかがった。そのなかからイスラエルの安全に関する話と、日本とイスラエルの距離感について語っていただいた部分を中心に紹介しておこう。

午後からは研究室で山森先生にあれこれうかがった。右の彼は京都大学に留学していて、ちょうど帰省中だったオレンさん

「私がイスラエルに住み始めた90年代の危なさはテロの危なさでした。バスが爆発するとか、レストランで乱射事件が起こるとか、私たちが普通に行く場所でもテロがあったんです。でも数年前に分離フェンスができて、テロは劇的に減りました。フェンスのせいでパレスチナ人は困っているけれども、少なくともテロで死ぬ人の数は少なくなった。その代わりに最近は、ハマスが遠くからロケット砲を撃つようになって、市街地の代わりにガザから近い場所が危険になったんですね。どこかが安全になれば、代わりにどこかが狙われる。だからなかなか難しいんです。でも私はイスラエルより日本のほうが危ないと思うこともあるんですよ。例えば日本の駅で気分が悪くなって倒れたら私は怖いです。だって日本人は駅員に任せて見てるだけでしょ? イスラエル人の場合は、なにかあったらすぐ助け合います。来なくていいときでも助けに来てくれる(笑)。普段はダラダラしてるイスラエル人が、いつもあんなに一所懸命ならどんなにいいかと思います」

大学生の足は主にバスか自転車。こちらのようなマウンテンバイクがほとんどで、ロードレーサーやママチャリは見かけなかった

構内の地図を見ていると、見ず知らずの男性が声をかけてくれた。山森先生の言うように、困った人にはすぐ手を差し伸べるのがイスラエル流らしい

「パレスチナ問題については、日本の中立的な立場から、解決の手段を探ろうという意見は一理あると思います。ただパレスチナ問題の複雑さに対する日本人の理解はあまりにも乏しいですから、実情を知らないまま努力しても、なかなかうまくいきません。もちろん日本からの気持ちはありがたいですけれども、良かれと思ってした行動が利用されることもありますからね。物理的な距離の問題と、言葉の違いはやはり大きいです。まずは情報の量が質に転換していくと思うので、私たちがイスラエルで普通に暮らしている様子をできるだけ知ってもらって、そこから日本とイスラエルの距離が自然に近くなっていけばいいと思いますね。現に日本人に会いたいと願っているイスラエル人は、たくさんいますから」

山森先生によれば、昔と違って最近は政治的でも宗教的でもない、ニュートラルな日本人がイスラエルを訪れることが増えているのだという。筆者としてもこの記事をきっかけに、「普通のイスラエル」に興味を持つ人が少しでも増えてくれればうれしく思う。

テルアビブ大学に限ったことではないが、イスラエルではあちこちで猫がウロウロしている。校舎内でもご覧のリラックスぶり

カフェの近くにあった謎の彫刻。撮り忘れたが校舎内には『変身』などで知られるユダヤ人の作家、フランツ・カフカの銅像もあった

後日、山森先生の息子さんにも会うことができたので、そちらも余談として少し触れておこう。ハーフの彼は長身でイケメンなのにアニオタで、好きなアニメは『バカとテストと召喚獣』という、じつにキャラの立った若者だ。彼はつい最近まで徴兵で軍に行っており、現場では女性新兵たちの監督を任されたが、イスラエル国防軍では、女性新兵でも個人の主張が激しいので、気苦労で大変だったらしい。「ホントしんどいっすよ……」とペラペラの日本語で感想を漏らしていた。日本でもネットなどで、イスラエルの女性兵士を賛美する声が上がったりするが、どうやら実際はかなり手強いようだ。

ではそろそろこの辺で中東で出会った、オタクな友人たちについてのレポートをお開きとしたい。山森先生曰く「最近はイスラエルにふらっとくる普通の日本人も増えてますよ」とのことなので、イスラエルの伝統的な部分にあまり関心がない人でも、気軽に訪れてみてはいかがだろうか。物理的な距離こそあれ『ドラゴンボール』『セーラームーン』『ポケットモンスター』を我々と同じように見て育った世代との気持ちの距離は、驚くほど近いはずだから。