あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?
1980年代の初頭、多くのメーカーがコンピュータにチャレンジした
今回は趣向を変えて、「パーソナルコンピュータ」が1つのブレイク期に突入した1980年代初頭の時代背景を振り返ってみます。前回はトミー(現タカラトミー)の「ぴゅう太」を取り上げたので、その続きを交えながら進めましょう。
当時、ぴゅう太のカタログには、販売特約店として「有名デパート・スーパーの玩具売場、家電売場、玩具店、模型店、家電店、マイコンショップなどでお求めください。」と記載があります。現タカラトミー広報によると、ぴゅう太の初年度販売台数は約34,000台と、比較的好調なセールスを記録したようです。
59,800円のぴゅう太は、玩具としては高価でしたが、パソコンとして考えれば最安の部類でした。玩具メーカーのトミーが開発したオリジナル製品の「ぴゅう太」は、製品ポジショニングがゲーム専用機とパソコンの中間に位置したため、販路拡大についても模索していました。それまでアプローチできていなかった、電気店やパソコンショップなどを取り込む絶好の機会だったのです。ぴゅう太の販売代理店を募る広告を、パソコン雑誌で良く目にしました。
しかし、筆者がぴゅう太の実機を見かけたのは、もっぱらデパートや玩具店でした。秋葉原や新宿のパソコンショップでは、ぴゅう太に触れる機会がほとんどなかっと記憶しています。製品以外の部分でも、玩具店とパソコンショップにおける商習慣の違い、顧客ターゲットから生じるマーケティング戦略の違い、販売員のスキルセットの相違などがあったのではないかと、想像します。
改めて時代背景を整理してみると、1982年夏から1983年は、任天堂のゲーム&ウオッチなど、液晶表示のLSIゲームに勢いを得た玩具メーカーが、テレビゲームの販売に本格的に乗り出した時期でした。具体的には、1982年7月にバンダイの「インテレビジョン」(59,800円)、1982年8月にぴゅう太(59,800円)、1982年9月に河田やツクダなどが「オデッセイ2」(49,800円)で販売するというような流れです。翌年の1983年7月15日には、一世を風靡した「ファミコン」が任天堂から発売されました。
また逆に、コンピュータメーカーも、コモドール「マックス・マシン」(34,800円)や、ソード電算機「ゲーム・パソコンM5」(49,800円)など、ゲームにほぼ特化させて低価格化を図ったコンピュータを、玩具店ルートで流通させ始めます。
1980年代の初頭は、コンピュータメーカーも玩具メーカーも、「コンピュータ」と「ゲーム機」の仕様をどうするか、また販売チャンネルをどうするのか、模索していた時期であったと思えます。加えて、パソコン雑誌にたくさん掲載されていたダンプリスト(プログラムリスト)の入力や、プログラミングを通して行うゲーム制作作業そのものが、子供たちの興味・娯楽対象になるのかどうかを、各社が"試した"といえるのではないでしょうか。
話をぴゅう太に戻して、1983年5月、ぴゅう太は専用データレコーダーを用意するなどシステムアップも図り、専用ゲームカートリッジも16本(1983年6月時点)まで増やします。さらに、拡張マザーボックスとして、市販のプリンターや音響カプラ、フロッピーディスクとの接続までうたいます。マーケティングメッセージも「パソコンて過激なオモチャじゃ。」と、パソコンであることを前面に押し出しました。
一方で1983年7月には、キーボードを含めパソコン機能を省いたゲーム専用機、「ぴゅう太Jr」を29,800円で発売。ゲーム機の低価格化に合わせ、製品ポジショニングをハッキリさせました。しかし残念ながら、ぴゅう太はその後、ぴゅう太mkIIという後継機を出すものの、ファミコンなどに押され、姿を消すことになりました。
あくまで当時の背景と想像ですが、ぴゅう太シリーズの終息は、「プログラミングは小中学生にとってハードルが高い」という結果を示したのではないでしょうか。デバック作業を経てプログラムがきちんと動く喜びには、代えがたいものがあるのは確かです。しかし、創造的な仕様設計や論理的思考は、そんなに簡単ではありません。プログラミングの対象年齢としては高校生ぐらいから、つまり玩具を卒業する世代からとなり、玩具メーカーのパソコン参入はいったん落ち着くことになったと、筆者は考えます。
現在におけるタブレットの動向と照らし合わせて
1980年代初頭のパソコン創世期と、現在のタブレットは、同じような状況にあるのかもしれません。例えば、バンダイが10月25日に発売した「コドなび!」や、セガトイズが8月7日に発売した「ジュエルパット」といった、子供向けタブレットが玩具メーカーから続々と登場してきました。
現在のタブレット市場は、アーリーアダプタ層が一通り購入し、キャズム理論でいうところの、普及するか否かの"分岐点"にあるように思えます。もちろん、テクノロジーや商習慣を含めた社会状況は、パソコンの普及当時とはまったく異なりますが、これから各社の展開が楽しみです。各社の腕の見せどころでもあるでしょう。
さらに最近は、個人や各家庭の購買に依存するのではなく、国や地方自治体がICT(Information and Communications Technology)教育の一環として、タブレットを学校に導入する動きが出てきました。例えば、東京都品川区の小中学校(10校)では、1,800台のタブレットを全児童、全生徒に配布し始めています。学校での補助教材のみならず、家庭学習でも使えるように自宅に持ち帰れるという、学研ホールディングスと品川区教育委員会が進める取り組みです。
その昔、パソコンやファミコンを持っている子供は人気者でした。子供のインターネット利用には賛否両論ありますが、学習意欲のある子供たちが、電子デバイスとの"上手な付き合い方"を学校や家庭で学ぶのは良いことではないでしょうか(必須という見方もあるでしょう)。一定の使用制限は必要であるにせよ、ぜひ、子供たちが創造的作業や学習にタブレット、パソコンを利用し、デジタルディバイドが生じないよう公平に展開されることを願います。
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