あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?
MZ-80Cの誕生
1979年(昭和54年)11月1日、シャープはディスプレイ一体型の8ビットコンピュータ「MZ-80C」を発売しました。10型ブラウン管(グリーンフェイス、1,000文字、横40文字×x縦25文字)、CPUはZ-80、4KBのROM、48KBの大容量RAM、ストレージとしてカセットテープレコーダ(データ転送速度1,200bps)を搭載したオールインワンタイプです。当時の価格は268,000円、月産500台でした。
のちに8ビット御三家の一角となる、1980年前後の日本におけるコンピュータをリードした「MZシリーズ」(完成製品版)の誕生です。なお「8ビット御三家」には明確な定義があるわけではなく、時代とともに「御三家」が移り変わりました。最終的には、NECのPC-8800シリーズ、富士通のFM-7シリーズ、シャープのX1シリーズを指すことが多いようです。これらの名機については、別の機会に取り上げることにしましょう。
話を戻して、MZ-80Cの前モデルに「MZ-80K」がありましたが、マイコニストの圧倒的な支持はあったものの、半完成品であり、教育的要素が強い製品でした。MZ-80CからはOA化のニーズに応えられるよう、タイプライタ配列キーボードの採用や周辺機器を含めたシステム販売に軸足を置き始めます。
マーケティングメッセージは「クリーンコンピューター 優れたパーソナルコンピューターは時代の進歩に対応する」でした。ROMを最小限にとどめ、メモリの大部分をRAMとします。プログラム言語のBASICをテープモードで装備、さらにマシン語(別売)やアセンブラ(別売)などの他言語もカセットテープで提供され、「ソフトウェアのメディア」を交換することで、多彩なシステムおよびソフトウェアを利用することが可能でした。これが「クリーン(白紙)コンピューター」の考え方です。
MZ-80Cとの出会い
1979年秋、熱狂的なマイコニストだった筆者の兄は、零細企業を経営していた父にOA化の重要性、ビジネス貢献を熱弁し、クリーンコンピュータは長く使えそうだという理由でMZ-80Cを購入させました。筆者の目にもまぶしく映ったMZ-80Cでしたが、「ゲーム機ではない」との理由で使わせてもらえず、雑誌掲載のMZ-80K設計図などをながめては妄想でクロックアップをし、秋葉原ラジオ会館の展示機を触りに通ったものです。
筆者が自宅で操作できたのは、その3年後です。MZ-80Cには銀色の専用本体カバーが付属し、そのカバーを取ると、本体から独特の揮発性の香りがしました。そして、本体電源をオン。
1. ブラウン管に「** MONITOR SP-1002 **」と緑文字で表示。
2. 「LOAD」と入力すると「↓PLAY」が表示。
3. カセットテープレコーダに「SP-5020」(本体付属のBASIC)をセット。
4. PLAYボタンを押してロード
このような儀式で、コンピュータの起動だけで10分ほどかかったと記憶しています。読み込みに失敗して、手順を最初からやり直すこともありました。
ほとんどゲーム(スタートレック、スペースインベーダーなど)ばかりしていましたが、マイコン雑誌に載っていたダンプ(プログラム)リストを、土日にかけて打ち込んだりもしました。今思うと、ゲーム容量も20KBなどと少なく、単純な内容に驚きますが、入力ミスをしないよう注意深く打ち込み、エラーを見つけだし、修正、実行…。この一連の作業は、筆者を含め人々を夢中にします(面倒ではありますが、まったく面倒に感じない楽しさがありました)。ほぼ無からゲームを作る喜び、ワクワク感、そして楽しみながらBASICを勉強でき、創造性を刺激された作業だったと思います。
1979年11月、あの日あの時
1979年は、機動戦士ガンダムがテレビで初放映されました。11月のエピソードでは、アムロがリック・ドムを「1つ、次、3つ」と数えながら合計9機を撃墜。「全滅? 12機のリック・ドムが全滅? 3分もたたずにか」「傷ついた戦艦1隻にリック・ドムが12機も? バケモノか」というコンスコンの名言を、声優の永井一郎(故人)さんが残します。そして、アムロとシャア、ララァが出会い、物語はクライマックスへと向かいます。ニュータイプをモビルスーツというマシン越しに描くそのさまは、筆者の心に印象深く残っています。
テレビドラマでは「3年B組金八先生」の初回シリーズが放映され、主演は熱血中学教師役の武田鉄也さん。また、たのきんトリオ(田原俊彦さん、近藤真彦さん、野村義男さん)、杉田かおるさん、鶴見辰吾さん、三原じゅん子さんといった生徒役を演じたタレントも話題となります。11月1日は、海援隊のドラマ主題歌「贈る言葉」が発売され、卒業式の定番曲となりました。
1979年11月は、高度成長を終えて第2次オイルショックの影響時。日本の社会が大きく変化した時代です。アムロも金八先生の生徒も、期せずして同じ15歳という設定でした。挫折や苦悩しながら少年たちが成長していく姿に、自分を重ねた方々も多かったのではと思います。
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