あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?

FMシリーズの誕生

FUJITSU MICRO 8(FM-8)とオプションのディスプレイ
(写真提供:富士通)

1981年(昭和56年)5月20日に富士通は、8ビットパーソナルコンピュータ「FUJITSU MICRO 8」(以下、FM-8)を発表しました。のちに日本製コンピュータの代名詞の1つともなった「FMシリーズ」の誕生です。

その設計思想は斬新で、8ビットCPU「MBL6809」(モトローラ「MC6809」コンパチブル)をメイン用とサブ用に2個搭載していました。さらに、同社の大型コンピュータ「FACOM Mシリーズ」に採用したばかりの64KbitダイナミックRAMを8個も、4層の基盤上に搭載。合計64KBという大容量の主記憶領域(メインメモリ)を誇りながら、218,000円と戦略的価格を実現したのです。

発表当初のマーケティングメッセージは「CPUを2個搭載して、アドレス空間は128Kバイト、高分解ディスプレイ、日本語表示、豊富な補助記憶装置を採用したパフォーマンスモデル」。スペックでたたみかける、ビジネスユースを意識したものでした。

翌1982年11月には、バブルカセット(現在でいうリムーバブル記憶装置)などを廃止した廉価版の後継機種「FM-7」が128,000円で発表され、大ヒットを飛ばします。FM-7については、別の機会に譲りましょう。FM-7の登場に合わせて、FM-8のカタログ表記も「FM-8」の略称へと変更され、「ハイクオリティ・ユースのパーソナルコンピュータ」としてメッセージを強化しながら販売が継続されます。82年ミスマガジングランプリの伊藤麻衣子(現、いとうまいこ)さんをイメージキャラクターに起用し、親しみやすさ、パーソナル感を演出していました。

FM-8のカタログ(資料提供:富士通)、クリックで拡大

FM-8との出会い

1981年5月の発表は、NECのPC-6001(1981年9月発表)、PC-8801(同12月発表)の前であり、FM-8のスペックや価格には圧倒的なインパクトがありました。640×200ドット/8色表示のカラフルなデモ画面や、RS-232Cポート、アナログポートに標準でジョイスティックを付けられるなど、憧れて秋葉原のショップに通ったものです。半透明なバブルカセットのふたを開けると、電源スイッチがあり、それだけで大型機のような雰囲気でワクワクしました。

1981年(昭和56年)5月20日の富士通プレスリリースより(資料提供:富士通)

電源をONにすると、標準実装されていたF-BASICの起動画面「FUJITSU MICRO 8 BASIC Version 1.0 Copyright(C)1981 By FUJITSU/MICROSOFT 30358 Bytes Free Ready」カーソルが点灯し、大容量にしびれます。キータッチは重厚感があり、シューティングゲームでのBREAKキー連射にも十分対応できました。

また、コンピュータ雑誌の影響は大きく、通称YAMAUCHIコマンド、拡張Kコンパイラなど、雑誌に取り上げられた情報もFM-8の人気を支えたと思います。コンピュータ雑誌といえば、何ページものダンプ(プログラム)リストが掲載されていて、それを自分の手で打ち込んで使うことが当たり前でした。FM-8ではオプションの漢字キャラクタROMもボードではなく、チップをソケットにさすタイプでしたので、パソコンをソフト、ハードウェアとも自ら作っている感覚があったのです。

なぜか編集部に出現したFM-8の実機。完動品!! 右上のフタを開けたところに(写真右)、バブルカセットが入ります

キーボード全景(写真左)。「スペースバー」が大きい! キーキャップ手前側面に描かれたアイコンがいい味

背面とコネクタ類。丸型のDINコネクタや、RS-232Cポート、PRINTERポートが並びます

開けてみるのはお約束ですね。フットプリントほぼいっぱいのマザーボード。あえて「ほこり」だらけの内部を写してみました。写真右はマザーボード左下のメモリ部分

日立製作所のマークが誇らしいCPUは、モトローラの8ビットCPU「MC6809」コンパチブル。現在のCPUとはまったく違う形状とピン数ですが、れっきとしたCPUです

キーボード部品の表(写真左)と裏(写真中央)。配線パターンの密度とハンダ付けが今とはまったく違いますね。写真右はネジ。筆者と編集Hは、このネジを見て感動しました。今ではあまり見かけなくなった、いいネジ使ってますよね

動かしてみました。写真左は起動画面、写真中央は漢字ROMの漢字出力です。写真右はとっさに書いたF-BASICのプログラム。数字をカウントするだけの簡単なベンチマーク(?)で、「10,001」まで数えるのに23秒かかりました

1981年5月、あの日あの時

1981年は世界的にみれば、IBM Personal Computer 5150が8月12日に発売されるなど、のちのコンピュータ業界の流れを左右するテクノロジーが生まれた年です。アメリカでは、初のスペースシャトル打ち上げが行われました。

日本では、神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)が3月20日~9月15日に開催されます。三宮とポートアイランドを結ぶ、世界初の無人運転システムだったポートライナーは、未来を感じさせてくれました。会場では、テレビ電話や3D画像といった21世紀の技術が紹介されます。日本IBMは遣唐使船の復元船をパビリオンで展示し、漢字が使えるコンピュータを「漢字反対語ゲーム」でアピールしました。当時、漢字が使えるコンピュータは画期的だったのです。

漢字の入出力といえば、ワープロ専用機が主流でした。富士通初のワープロ専用機「富士通オアシス 100」(OASYS = Office Automation SYStem)が、1980年5月に270万円で発表され、1年間に1500台を超える受注があったそうです。1981年8月に小型化(本体重量は約32kg)された後継機、「富士通オアシス 100J」が159万円で発表されます。同100シリーズと合わせて1年間で1万台、3年間で10万台という販売目標を掲げ、群馬県館林新工場の建設計画を発表し、OA部門強化を打ち出します。

富士通オアシスでは、独自の親指シフトキーボードも見逃せません。「かな」で入力して「親指キー」で漢字に変換する「ひと打ちひらがな、2打ち漢字」というメッセージで、自然で負担の少ないかな文字入力が可能でした。他国の文化を取り入れて、そこに日本独自発想の技術を加えて、さらに発展させるような風土がありました。なお現在でも、親指シフトキーボードは富士通コンポーネントが生産中です(Windows対応)。

1981年は、OA化を意識したビジネス向けプロモーションが盛んでしたが、特に下半期より個人・パーソナル志向を意識した製品が展開されました。低価格化とともに、マーケティング戦略や販売経路が変化していった、始まりの時期と思えます。

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