あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?

軽自動車よりも高かったノートPC

Digital HiNote Ultra

1994年(平成6年)12月、ディジタル・イクイップメント・コーポレーション(略称:DEC)は、薄型ノートPC「Digital HiNote Ultra」シリーズ(3機種)を発表しました。のちに「ハイトラ」「DHU」などの愛称で呼ばれ、スリムノートとして新しいジャンルの先駆けとなったコンピュータの誕生です。

DECは1998年に、コンパックに買収され、そのコンパックも2001年、ヒューレット・パッカードに買収されます。現在、DECという社名こそありませんが、テクノロジーと業績は脈々と現在のパソコン業界に引き継がれています。今回は、DECがリリースしたPCの中でも代表的な、Digital HiNote Ultraを取り上げてみましょう。

ハイエンドモデル「475CT」は、東芝製の9.5インチTFT(640×480ドット)液晶ディスプレイを搭載し、OSは日本語Windows 3.1(MS-DOS 6.2V)でした。CPUはIntel 486DX4プロセッサ(75MHz)、メモリは8MB、HDDは528MB(東芝製4,200rpm)です。

Digital HiNote Ultraのカタログ
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こちらは「Digital HiNote Ultra II」のカタログ
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当時のノートPCとしては高いパフォーマンスを誇りながら、本体サイズはW280×H30.5×D216mm、重量は1.8kgと、薄型/軽量を実現します。CD-ROMドライブは非搭載ですが、本体厚が約3センチで重量2kg以下というスペックは、まさに衝撃的でした。

価格は実に558,000円(日本で本格的に販売された1995年6月当時)。インパクトあるプライシングです。ちなみに1994年発売の、スバルの軽自動車ヴィヴィオが548,000円でしたので、車より高いパソコン。まさに一般的ユーザーには憧れでした。

マーケティングメッセージは、「世界一スリムなUltraは、世界一軽いCD-ROMノートになる」(※1995年6月時点・日本DEC調べ)でした。20年前、ハイエンドラップトップPCは、CD-ROMドライブを搭載したモデルが多かったですので、スリム/軽量をアピールしつつ、外付けオプションのCD-ROMドック「モービルメディア」(重量0.82キロ、価格は78,000円)とのセットで拡張性も訴えます。

写真で見るDigital HiNote Ultra

具体的に、その魅力を写真で見てみましょう。最大の特徴は、何といっても、Digital HiNote Ultraの優れたデザインです。機能美ともいえるそのフォルムは、1995年グッドデザイン外国商品賞を受賞します。

特に、本体下部後方にレイアウトされたバッテリ部分のヒンジが回転し、キーボードに傾斜を付けられることは、使い勝手の良さとコンパクトさを両立させた、斬新なアイディアです。このギミックは特許としても申請されますが、アイディアはこれだけにとどまりません。操作性に優れたトラックボールやドッキングベイなども、見逃せない特徴です。

本体後方にある着脱式バッテリのヒンジ部分が約90度回転し、キーボードに傾斜を付けるスタンドとして機能します

キーピッチは18mm、キーストロークは3mmです。右側の一部キーとEnterキーの幅が短いこと、Enterキーのすぐ右側にキーを配置したことには、賛否がありました。ポインティングデバイスがトラックボールだったことも、高い評価を受けたところです。トラックボールを搭載したノートPCなんて、もう出てこないでしょうね…

本体の右側面。電源コネクタ、外部キーボードやマウスをつなぐPS/2コネクタ、マイク入力ヘッドホン出力、赤外線受光部があります。中央の写真は本体の厚さをSDメモリーカードで測ってみたものです

【左】【中央】本体の左側面には、ケンジントンロック、電源ボタン、PCカードTpyeIIスロット×2基があります。【右】本体前面には液晶を固定するラッチがあるのみで、インタフェースは配置されていません

本体背面です。バッテリ部分を立てると、ゴム製のカバーに覆われた外部インタフェースが見えます。カバーを外すと、外部ディスプレイ出力(D-Sub)、プリンタ用のパラレルポート、シリアルポートが出現

本体の底面です。右側の中央付近にあるコネクタには、各種の拡張ユニットを接続します。フロッピーディスクユニットやCD-ROMユニットが用意されていました。ソニー製リチウムイオン充電池を搭載し、1.5時間の充電時間で、約3時間のバッテリ駆動が可能でした

拡張フロッピーディスクユニットです。ユニット側のツメを本体の溝に引っかけつつコネクタ接続し、ネジ留めするというアナログ的な固定です

拡張フロッピーディスクユニットを取り付けたDigital HiNote Ultra本体。バッテリ部分をスタンドにしたとき、底面と本体の間に生じる「三角形」のすき間をうまく活用しています

Digital HiNote Ultraを手がけたデザイナーのMichele Bovio氏は、トラックボールに関する特許などでも有名ですが、同時に優れたエンジニアでした(特許の詳細はWebページでも確認できます)。これらのアイディアを引用したPCベンダーの数や引用特許の多さからも、当時、DECのデザインと技術がいかに先進的であったかが想像されます。

今回入手したDigital HiNote Ultraの実機は、完動品でした。起動時のPOST画面と、BIOS画面をいくつか。CPUのクロックが「MHz」、メモリが「KB」、HDDが「MB」と今のPCとは桁からして違いますね

Windows 95がきちんと起動。内蔵HDDが「キュウゥイィーン」と大きな音を立てて回っています。液晶の画面サイズは9.5インチ、解像度は640×480ドット、色数は256色です。仮想表示機能を使うと、最大1,024×768ドットまで表示可能でした(画面の端までカーソルを動かすと自動的にその先へスクロール)

Digital HiNote Ultraとの出会い

筆者は、Digital HiNote Ultraを購入することはできませんでした。秋葉原のLAOX ザ・コンピュータ館で見かけたものの、遥かに予算オーバー。買えるはずないと、残念に眺めていました(当時、同じような思いをした方も多いのではないでしょうか?)。ほどなくパソコンショップに勤務した筆者は、Digital HiNote Ultra 475CTを幸運にも業務用端末として利用することになります。まさに役得。

ショップの閉店後、CD-ROMドック「モービルメディア」に接続して、音楽を楽しみながら残務作業をしたものです。モービルメディアは、フロントにツィータ(1W)×2、底面にウーファー(2W)×1のスピーカーを内蔵しており、ノートPCらしからぬ迫力のサウンドが楽しめました。単にスリムなだけでなく、マルチメディア機能にも注力していたその先進性。いま振り返ってみても、Digital HiNote Ultraは、技術力のベンダー「DEC」を象徴した名機です。

このDigital HiNote Ultraは編集Hの私物。ヒンジが割れて、もうボロボロです。下位モデルなので、液晶がDSTN(Dual-scan Super Twisted Nematic)です。DSTN……、懐かしい響きですね

1994年12月、あの日あの時

Digital HiNote Ultraシリーズが発表された1994年12月を振り返ってみましょう。家庭用ゲーム機では、初代PlayStationが発売されました。家庭用ゲーム機にも関わらず、レーシングゲーム「リッジレーサー」のリアルな画像は、圧巻そのもの。3Dゲーム(もはや死語っぽいですが)の将来性・可能性と、新しい時代の到来を感じました。

PlayStationの価格は39,800円、初回生産分の10万台はすぐ完売。そして、1年後には29,800円に値下げ、販売を加速させます。およそ10年後には、全世界で1億台を販売したといいます。ハードの価格を低めに設定して普及を進め、ゲーム専用機としてプロモーションしていました。

コンピュータとゲーム機、その生い立ちは違うものの、ハードウェアのポジショニングで見ると、汎用性をうたい50万円を超える価格設定のDigital HiNote UltraとPlayStation、まさに対極にあるように感じます。改めて、販売価格とともに、背景のビジネスモデルと販売戦略の重要性を感じます。

DECとDigital HiNote Ultraシリーズの消滅は残念ですが、優れた技術はヒューレット・パッカードに受け継がれています。今後も憧れとなるような製品の登場を期待しましょう。

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