2019年4月30日に幕を下ろす「平成」。マイナビニュースでは、「平成」の中で生み出されたエンタメの軌跡をさまざまなテーマからたどる。この「平成テレビ対談」は、「バラエティ」「クイズ」「ドラマ」「ドキュメンタリー」「音楽番組」「アナウンサー」という6ジャンルで平成に活躍したテレビマンたちが登場。平成のテレビを振り返りながら、次の令和時代への期待を語り合っていく。

「音楽番組」からは、フジテレビで『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』『FNS歌謡祭』などを手がけてきたきくち伸氏と、NHKで『NHK歌謡コンサート』『NHK紅白歌合戦』などを手がけてきた山田良介氏。前編では、『HEY!HEY!HEY!』立ち上げ当時のTKブームの裏話や、『紅白歌合戦』から見た『FNS歌謡祭』などについて話してもらった――。

  • 山田良介氏(左)ときくち伸氏

    山田良介氏(左)ときくち伸氏

■HOUND DOG・大友康平に土下座

――きくちさんは昭和の最後に入社されて、あの『夜のヒットスタジオ』を担当されていたんですよね。

きくち:はい。『夜ヒット』を担当した最後の年に平成になりました。それから別の班に移って、『ヒットパレード'90s』を1年、『G-STAGE』を半年、『SOUND ARENA』を半年、『MJ -MUSIC JOURNAL-』を1年半やった後、半年間、フジテレビに全国ネットの音楽番組がない時期があって、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(94年10月~12年12月)が始まりました。その音楽番組がない間、私は『なるほど!ザ・ワールド』の王(東順)さんに拾われてクイズ番組のディレクターをやっていたんですが、それが半年で打ち切りになったんで、『HEY!HEY!HEY!』となる番組に参加できたんです。

――当時はすでにタモリさんが『ミュージックステーション』(テレビ朝日)をやっていましたが、ダウンタウンさんというゴリゴリの芸人さんが音楽番組のMCをやるというのは、相当異例でしたよね。

きくち:初めてでしたね。「Innocent world」の後だったんですが、ダウンタウンさんはMr.Childrenを知らないくらいだったので、トークがあそこまで転がると思わなかったんです。1回目の収録は歌をたくさん撮りまして、最初のメインゲスト「CHAMP」はHOUND DOGさんで、6曲分24分撮りました。他にも、GEISHA GIRLS、中森明菜さんもいて、結果歌だけで40分近く撮ったんです。でも、トークが面白くて盛り上がったんで、大友(康平)さんのところに行って土下座して、「ラストシーン」という一番長かった6分24秒のバラードを今度別の放送日で流すので、今回からは外させてもらえないでしょうか…とお願いして始まったのが『HEY!HEY!HEY!』です。当時の歌番組で、撮った歌を放送しないなんてことはなかったんですよ。

――山田さんから見て、『HEY!HEY!HEY!』の印象はいかがでしたか?

山田:今聞いてびっくりしたのは、最初はフルの曲尺で撮っていたということです。音楽番組のオンエア曲尺はかなり変わってきているのを、現場としてはすごく感じています。当時『紅白歌合戦』では、曲尺をどうするかとなったときに「『HEY!HEY!HEY!』がこれくらいの尺だったから」と参考にしていましたからね。『ポップジャム』や『MUSIC JAPAN』でも、そのようにしていたと思います。

  • ダウンタウンの松本人志(左)と浜田雅功

■『紅白』は歌番組を超えた“大きなプロジェクト”に

――山田さんは、平成元(1989)年入局で、まさに平成の歩みが音楽番組の歩みだと思うのですが、最初にご担当された番組はなんですか?

山田:『NHKのど自慢』ですね。毎回2組ずつ出ていただくゲストの方の会場への行程を決めてチケットをおさえたり、宿を決めたり、デスクワーク的なことをやっていました。また、平成元年当時はバンドブームだったので、その年から『紅白』にもいわゆるバンドがいっぱい出だしたんですよ。そうするとバンド機材を生放送の『紅白』で扱わなきゃいけないんですが、僕はもともとバンドをやっていたので、その機材の用意や配置などの担当をしましたね。詳しい方が少なかったので、僕に担当が回ってきた感じです(笑)。その流れで、音楽番組を担当しています。

きくち:実は私も、85年入社で『夜ヒット』の上から16番目のADになって請け負ったのは、楽器と音声・音響周りでした。『夜ヒット』が2時間番組(『夜のヒットスタジオDELUXE』)になった85年も、楽器を持ち込むバンドが増えてきた時代だったんです。『夜ヒット』も『ザ・ベストテン』(TBS)も『トップテン』(日本テレビ)も、全部番組が連れてきたハウスバンドがいて、小泉今日子さんが来ても五木ひろしさんが来ても、全部ハウスバンドが演奏していたんですが、THE ALFEEなどから自分たちの機材を持ってくるバンドが増えて、新入社員の頃からその辺りをやってましたね。

――きくちさんは『のど自慢』や『紅白』をどのように見ているんですか?

きくち:基本的に自分が作った番組以外に興味がないので見ないんですけど(笑)、『のど自慢』は結構見てるんですよ。日曜のあの時間がいいんです。フジテレビの人間なんですけど、家にいて見る番組がないときは、ずっとNHKがついてるんですよ。この間のグランドチャンピオン大会で優勝したのが、平井堅みたいな歌い方をする男の人で、「平井堅以降だからこれが認められてるんだな」とか、「吉田拓郎さんはよく『男のファルセットは嫌い』とか言ってたなぁ」とか、そんなことを思いながら見てると、『のど自慢』って面白い番組だなと思いますね。

――平成はおろか、昭和から長らく続く番組ですもんね。

きくち:あと、今一番真っ当な音楽番組は『SONGS』だと思います。何班かでつくってると思うんですが、良い回はすごく好きです。あと、NHKが民放と比べてすばらしいのは、必ず再放送がある。本放送を見逃しても、その評判を聞いて再放送で見られるのがいいですよね。『チコちゃんに叱られる!』も本放送より再放送が見られてますし。まぁ、ここで“NHK愛”を語っても仕方ないですが(笑)

――NHKの中で、『のど自慢』というのは、どういう存在なんですか?

山田:これは本当に出ていただく一般の出場者の方の“素材”勝負な番組なので、その素材をちゃんと選べば、毎回面白いドラマが生まれてくるんです。出場者に関わる歌にまつわるドキュメンタリー色を入れていくから、長続きする番組なんだと思います。

  • 『NHK紅白歌合戦』が生放送されるNHKホール=東京・渋谷

――『紅白』はいかがですか?

山田:NHKの音楽番組セクションが1年間それに向けて動いて、できるだけ多くの視聴者の方々との接点を持つための重要な番組です。今は局内のいろんなセクションが『紅白』に携わっていて、ただの「歌番組」としてやっているだけではなく、非常に大きなプロジェクトになってきているので、制作現場がそこにどう接するのが大変な番組になってきましたね。

――そういった大型の音楽特番と言えば、きくちさんが担当していた『FNS歌謡祭』について、『紅白』側からはどのように見ているんですか?

山田:『紅白』のスタッフは、必ず『FNS歌謡祭』を録画して見ています。出場予定歌手の人が、どんなパフォーマンスをどれぐらいの時間尺でやるのかというチェックしています。『紅白』って、発表含めていろいろやらなければいけないことが決まっているので、自由に演出ができる『FNS歌謡祭』ではどういう風にアーティストを見せているのか。『FNS歌謡祭』含め、年末の数々の音楽番組を踏まえて、出場するアーティスト側と『紅白』ではどんなことをやろうかという話をするんです。

――『FNS歌謡祭』はきくちさんがメインのプロデューサーになった2002年に視聴率19.0%をとって、その後5年連続で20%を超えました(ビデオリサーチ調べ・関東地区)。

きくち:2002年に井上(信悟、現・ポニーキャニオン副社長)さんから引き継いだんですが、井上さんは「過去のVTRを使っちゃいけない」って言ってたんだけど、自分が自由にできるようになって最初は、過去のVTRを山のように使ったんですよ(笑)。4時間番組の中で1時間~2時間弱まで使ったこともありました。でも、だんだん自分の中で飽きてきて、視聴率もとれなくなって、基本的に4時間全部生にするという方式にしました。