平成元年の1989年は冷戦終結の年でもある。同年11月には冷戦の象徴ともいえるベルリンの壁が壊され、12月には、地中海のマルタ島で、ソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのジョージ・ブッシュ大統領が会談し、冷戦の終結を宣言した。これは、冷戦の枠組みで抑え込まれていた民族問題が世界各地で噴出するという内戦とテロの時代の始まりでもあった。
▼平成とは、昭和のうちに終わったはずの「懲りたはずのこと」が繰り返される時代ではないか
1992年に公開された宮崎駿監督の『紅の豚』は、豚の姿をした飛行艇乗り、ポルコ・ロッソを主人公にした映画だ。彼は前の戦争ではイタリア空軍のエースパイロットだったが、"人間であることから降り"、豚の姿となった。現在はアドリア海の小島を根城に、空賊相手の賞金稼ぎとして暮らしている。『紅の豚』は、ポルコという主人公が象徴するように、ハードボイルド的な"やせ我慢"の美学が一回転して漫画映画主人公の"高潔さ"に接続されており、そういう意味で、この作品世界は、宮崎駿ならではのものといえる。
『紅の豚』完成後のインタビューで宮駿監督は、この映画制作中に、ユーゴスラビア紛争が起きたことが辛かったと語っている。ユーゴスラビアは、ポルコが根城を構えるアドリア海を挟んで、ちょうどイタリアの対岸にある地域である。
「その後また民族主義かっていう、その"また"っていうのが一番しんどかったですね。第一次大戦の前に戻るのかっていう感じでね」。「もう懲りてるんじゃないかって思ってたんですよね、つまり僕らが戦争に懲りてるように。でも、やっぱり懲りてないんですね。懲りてるんだけど懲りてない。それについては懲りてるけども、新しい憎悪もちゃんと生産されるわけだから。我々も同じようなことすぐやるなっていう感じも含めて、ちょっとうんざりしたですね。」(『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』より)
映画は、ファシストが台頭する1930年前後のイタリアを描いている。ポルコは、友を失った先の戦争の"戦後"を生きているのだが、世間はすっかり"戦前"の様相を呈している。懲りたはずのことが、ここでも繰り返されようしているのだ。
映画が終わった後に起きたであろう第二次大戦を、ポルコや女友達のジーナ、そして設計技師のフィオといったキャラクターはどう過ごしたのか。映画ではあえて描かれなかった過酷な時間を思う時、この映画は、懲りないことの繰り返しの合間に現れたつかの間の幸せな時間を描いた作品だということを思い知らされる。そして平成とは、昭和のうちに終わったはずの「懲りたはずのこと」が繰り返される時代ではないかという思いも、頭をもたげてくる。
▼冷戦終結と深い関係を持つ『機動警察パトレイバー 2 the Movie』
『紅の豚』の翌年、1993年に押井守監督の『機動警察パトレイバー 2 the Movie』が公開される。本作もまた冷戦終結と深い関係を持つ映画だ。
映画の舞台は(当時から見て)近未来である1999年、東南アジア某国で、PKO部隊として日本から派遣された陸上自衛隊レイバー小隊がゲリラ部隊と接触する。本部からの発砲許可を得られないまま一方的に攻撃を受けて壊滅した。その小隊の隊長、柘植行人は自衛隊を辞め、そして"戦後の平和"の虚妄を暴くために再び東京に現れる。
1948年に始まった国連平和維持活動(PKO)は、冷戦の終結とともに、急激にその数を増やすことになった。安全保障理事会は1989年から1994年にかけて計20件の新規PKOを認可し、平和維持要員の総数も1万1,000人から7万5,000人へと増加している(国際連合広報センター「平和維持活動の歴史」より)。
こうした流れの中、日本でも1992年にPKO協力法が成立し、陸上自衛隊は国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の下で任務にあたることになった。国際連合の枠組みで活動するPKOへの参加は初であった。『パトレイバー2』の冒頭のシーンは、こうした自衛隊を取り巻く状況を踏まえたものだった。
柘植は、ミサイルでレインボーブリッジを壊し、ハッキングによって"自衛隊機による幻の空襲"を演出することで、自衛隊と警察の対立を煽り、東京を一種の戦争状態へと誘導していく。冷戦が終わり酷薄な世界情勢を目の当たりにした柘植は、太平の眠りを貪る日本という国に「戦争という現実」を突きつけようとしたのだ。
柘植の動向を追うために特車二課の隊長、後藤喜一に接触してきた謎の男、荒川は、この国の平和について次のように述べる。
「この国のこの街の平和とは一体なんだ? (略) 今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。そういった無数の戦争によって構成され支えられてきた、血まみれの経済的繁栄。それが俺たちの平和の中身だ、戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。正当な代価をよその国の戦争で支払い、そのことから目を反らし続ける不正義の平和」。「単に戦争でない、というだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実態としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか?」。
この映画において、荒川のこの認識は柘植とほぼ重なっていると考えてよい。そしてこの"(この作品内において)現実的な認識"とされるものを頭から否定するのは難しい。実際、現実を見ようとしない警視庁幹部を前にした時、後藤が感じた苛立ちは柘植の動機と同種のものだ。そういう意味で、後藤はもとより柘植を止めることはできないのだ。
しかし、ここまで現実的な認識をしながら、柘植はなぜ「戦争状況」という虚構を演出するという、矛盾した手法をとったのか。
それは柘植が伝えたかったのが「戦争という現実」という概念だからだ。柘植の目的は「誰かがお前を狙っている」「敵がそこにいる」というアジテーションではない。戦後日本の虚妄を暴く、一種の批評にこそ柘植の目的はあった。だから誰が敵かもわからない、「戦争状況」だけを欲したのだ。
だがいくら柘植が批評に留まろうとしたところで、「戦争という現実がある」という主張と「そこに敵がいる」というアジテーションの距離は恐ろしく近い。
後藤は先述の荒川の長広舌の間にこんな返事を返している。「そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺たちの仕事さ。不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程ましだ」。
この言葉は、柘植の思想を否定するには足りていない部分が多い。だが、柘植の批評がアジテーションへと堕ちていくことへ抵抗としては十分有効だ。
柘植の"現実的な認識"は冷戦後(つまり平成という時代の)のアクチュアルな状況を捉えたものだ。だからこそ柘植の認識を考える時には、後藤のこのセリフも併せて思い出される必要があると思う。
平成元年に起きた「冷戦の終結」は、このような形で2つのアニメ映画にその存在が刻み込まれているのである。