当然のことだが、夫婦とはそもそも赤の他人同士である。血の繋がりがあるうえ、生まれたときから自然な流れで寝食を共にしてきた親兄弟とは、根本的に関係性が異なる。結婚するまではそれぞれ別の環境で生きてきた男女が、愛情という、強烈ながらも不確かな絆によって結ばれ、ある日を境に共に生活を営むようになるわけだ。

したがって、夫婦の関係も一定期間以上が経過すると、それぞれの胸の中に互いへの不満や鬱憤(うっぷん)がたまってしまうのは避けられない事態と言える。そして、その蓄積が大きくなれば、やがて大爆発を引き起こすのは自然の理だ。世の夫婦喧嘩の大半は、こういった「鬱憤の蓄積→大爆発」という経緯を辿っているに違いない。

僕の場合もほとんどがこれだ。現在の妻と結婚して1年半以上が過ぎ、これまでにも述べてきたような大爆発を、幾度となく引き起こしてきた。当然、そのたびに大きな夫婦喧嘩に発展し、家庭内の雰囲気は最悪のものとなった。喧嘩が及ぼす影響は決して瞬間的なものだけではない。えてして、「その後の雰囲気」が一番つらいのだ。

しかも冷静に考えると、本当にたいした理由でないことが多いから厄介だ。たとえば浮気であったり、金銭問題であったり、そういう夫婦関係を根底から揺るがすような事態が起こったのなら話は別だが、我が家の場合も含めて、世の夫婦喧嘩の原因の大半はほんの些細(ささい)な鬱憤の蓄積でしかない。やれ妻の家事について気に食わないことがある、やれ妻の普段の言動について気に食わないことがある、すなわち犬も食わないというやつだ。

正直、喧嘩のたびに自分のことが嫌になる。妻の人間性の根幹の部分にはなんの不満もなく、だからこそ一生を共にしようと誓ったはずなのに、その根幹にはまったく関係ない枝葉の部分(つまり些細な問題)にいちいち目くじらを立て、それが原因で大喧嘩を繰り返していてはあまりに不毛すぎる。無駄な疲労がたまるだけだ。

だから僕の理想としては、なるべくそういう些細な鬱憤を発散しないよう、自分自身をコントロールできるようにしたいのだが、実際はそれがなかなかできず、自分の未熟さを嘆く結果となる。黙って見過ごせばいいことにまで、いちいち反応してしまう自分の脆弱な神経がいけないのだ。もっと寛容にならなければ――。

では、いったいどうすれば寛容になれるのか。たとえ小さな不満であっても、それをいつも我慢していては精神衛生的に良くないだろう。大切なのは不満を発散しつつも、それをわざわざ妻にぶつけないようにすることだ。たとえば童話『王様の耳はロバの耳』のように、心の内に秘めた思いを声高に叫ぶことができる穴があったらいいのだが……。

そんなことを考えていると、僕の妹(独身だが恋多き女)からこんな話を聞いた。

「相手に不満や鬱憤が溜まっていて、どうしても何か文句を言ってやりたいと思っているときは、それをすぐに口に出すんじゃなくて、まずは手紙かなんかに洗いざらい書いてみるといいよ。不満を文章にするのってすごくエネルギーがいることだから、それをすべて書ききると、気持ちがすっきりしたり、かえって疲弊したりすることが多い。で、その手紙を相手に渡すかどうかのところで、また大きなエネルギーを使うわけだから、結果的に手紙を書いただけで、それを相手に渡すことなく終わるってことが意外に多いよ」

ああ、なるほど。これがつまり、現代版の『王様の耳はロバの耳』だ。相手への不満を地面の穴に叫んですっきりするのではなく、それをいったん文章化することで気持ちを整理する。その結果、完成した文章(手紙)を相手に実際に渡すかどうかは、また別のエネルギーがいるため、実際は渡す前に心が落ち着いてしまうことも多そうだ。

要するに、相手に何か不満が溜まっているときは、それを打ち明ける前に「いったん文章化してみる」という途中のステップを踏めばいいのだ。このステップがあることで、瞬間的に燃え上っていた炎が鎮火する場合もあり、錯乱していた気持ちがすっきり整理される場合もあり、あるいは心身ともに疲弊しきってしまう場合もあるだろう。

そして、それらに当てはまったら、手紙を相手に読ませようと思わなくなっても不思議ではない。そもそもの不満が些細な問題であればあるほど、途中で馬鹿馬鹿しくなってしまいそうだ。自分の気持ちをコントロールするためには絶好のツールかもしれない。

これは夫婦間のいざこざを解消するために効果的な作戦である。他人への不満を簡単に口にすることは、人間関係を形成していくうえで決して有益だとは思えないが、だからといってストレスを抱えすぎては心の健康を保てない。両極端になるのではなく、双方の中間でバランスをとる。そのバランスの軸が、きっと文章化という行程にあるはずだ。

そして、文章化しても気持ちがおさまらないというときは、それこそ夫婦間の問題がそこまで大きくなっている証拠かもしれない。だったら再び大きなエネルギーを消費することになるが、その文章を手紙の形で相手に読ませればいい。そのほうが、勢いに任せて口頭で発散するより、自分の言いたいことが相手に冷静に伝わるだろう。

いずれにせよ、手紙は人間の頭を冷やす手段に適しているのである。

<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち)
小説家・エッセイスト。1976年大阪府出身。早稲田大学卒業。『神童チェリー』『雑草女に敵なし!』『SimpleHeart』『芸能人に学ぶビジネス力』など著書多数。中でも『雑草女に敵なし!』はコミカライズもされた。また、最新刊の長編小説『虎がにじんだ夕暮れ』(PHP研究所)=写真=が、10月25日に発売された。各種番組などのコメンテーター・MCとしても活動しており、私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。

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