故・向田邦子氏が遺した『無名仮名人名簿』というエッセー集の中に、ある洋服屋で買った正装用ドレスを一回だけ着て、その後一度も着ていないかのように包装などを取り繕って、店に返品しにくる中年女性のエピソードが綴られている。正装用ドレスは値段が高いわりに着る機会が少ないものだから、それだともったいないと思い、先述した嘘をついて日常的に着られる洋服に取り替えてもらおうという魂胆だ。店の主人はその厚かましい計画に気づいているのだが、渋々取り替えに応じてしまう。

人間心理とは恐ろしいもので、こういうことが何度も成功すると、一度手にした物品を取り替えるということにだんだん罪悪感がなくなってくる。つまり、取り替えの効果に味をしめてしまい、他のことに関しても「ダメだったら取り替えればいい」という考え方になっていく。この中年女性は、きっと他の店でも同じことをやっているのだろう。

物の取り替えと離婚の心理

向田氏の作中にはこれを離婚の心理とつなげている一節があり、僕もおおいに考えさせられた。この世の離婚原因の中には確かに同情せざるをえないような、のっぴきならない事情もたくさんあることは承知しているが、実際に自分の周囲の離婚経験者の話を聞いてみると、「そんなことで離婚するの?」と首をひねってしまうことも少なくない。

中でも気になったのは、10代~20代前半で結婚した男女が30歳くらいで一度自分たちの関係を見つめ直した結果、離婚を決意したというケースだ。そこに男女どちらかの浮気やDV、借金などの特殊な事情があったのなら話は別だが、実際はそういう深刻な事情ばかりではなく、「価値観のズレ」や「生活のすれ違い」などといった当人同士でしかわからない、実にフワフワした理由で離婚を選択するケースもしばしば見聞きする。

夫の取り替え--A子の場合

その経緯と心理とは、たとえば次のようなことだ。

A子は20歳のとき、高校3年のころから付き合っていた2歳年上の彼氏と結婚した。当時、彼は塗装業で生計を立てている青年で、まだまだ将来に不安があったものの、A子との間に子供を授かったため、若くして結婚する決意をしたのだ。

新婚時代のA子はすべてが新鮮で幸福に満ちていた。ほんの2年前の高校生時代と違って、大好きな彼氏といつも一緒にいられることが嬉しくてしょうがない。

ところが、やがて子供が生まれると、初めての育児に悪戦苦闘する日々が始まり、他のことを考える余裕もないくらい、生活が慌ただしくなった。その後、ようやく子供が幼稚園に入り、少しは生活に余裕が出てくるかと思いきや、その矢先に第二子を妊娠。再び出産から育児という大変な時間と労力を使う忙しい日々が始まり、目まぐるしいスピードで年月が経っていく。そのころには新婚時代に感じた「大好きな彼氏といつも一緒にいられる喜び」など当たり前になり、昔は目につかなかった夫への不満が溜まっていた。

そんな第二子もなんとか幼稚園に入ると、今度こそA子の育児生活も少し落ち着いてきた。夫の収入を考えると、子供は2人で限界のため、これにて子作りは終了だろう。

羨ましく見えて仕方ないのが、大人の恋愛を謳歌している独身の友達

そうなると、A子はもっと外の世界に目を向けたくなった。自分はまだ20代後半で、オバサンになるには早すぎる年齢だ。今までは育児に没頭していため、女磨きをする余裕がなかったが、これからはダイエットを頑張って、綺麗で素敵なママさんになってやる。

女友達との外出も、晴れて解禁となった。すると、どうにも羨ましく見えて仕方ないのが、大人の恋愛を謳歌している独身の友達たちだ。彼女たちは瑞々(みずみず)しい20代をさまざまな恋愛を経験する期間に充て、30歳を前にいよいよ生涯を共にする男性を選ぼうとしている。

A子はそういうプロセスを経なかった自分の人生になんとなく物足りなさを感じた。もし、あのとき夫と結婚しなかったら、自分も彼女たちのようにいろんな恋愛を楽しめたのだろうか。うんと年上の男性との大人のデートなんかも満喫できたのだろうか。

実際、独身の女友達と仲良くしているうちに、A子にも独身男性の知り合いが増え、彼らのほうが自分の夫よりもなぜか魅力的に見えてしまう。ああ、もし彼らのうちの誰かと夫を取り替えることができたら……。そんなパラレルワールドへの興味は尽きない。

シングルマザーたちからも感化、ますます夫の取り替えに興味

そんなとき、今度は同世代のシングルマザーたちにも感化された。彼女たちは一度離婚を経験したものの、子供がまだ小さいため、国からの母子手当や元夫からの養育費、両親からのバックアップなど、さまざまなサポートを受けながら意外に充実した暮らしを送っている。しかも、彼女たちはまだ20代だからか、恋愛も諦めていない。すでに新しい男性と付き合っていたり、より好条件の男性をゲットしようと、"再婚活"に夢中だったりする。

かくして、A子はますます夫の取り替えに興味が湧いた。夫が嫌いになったわけではないけれど、昔のように好きでたまらないというわけでもない。友達を見ていると、シングルマザーもそれなりに楽しそうだし、なにより気楽だ。自分も彼女たちのように、もう一度恋愛をしてみたい。夫を取り替えるなら、30歳を前にした今が最後のチャンスだ。

もちろん、世の女性みんながA子と同じではないけれど、実際これまで僕が見聞きした中で、こういう経緯と心理で離婚を決意した女性が複数いたから驚いた。彼女たちにとって離婚と再婚は、なんとなく物品の取り替えに近いものがあるのだ。

<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち)
小説家・エッセイスト。1976年大阪府出身。早稲田大学卒業。『神童チェリー』『雑草女に敵なし!』『SimpleHeart』『芸能人に学ぶビジネス力』など著書多数。中でも『雑草女に敵なし!』はコミカライズもされた。また、最新刊の長編小説『虎がにじんだ夕暮れ』(PHP研究所)が、2012年10月25日に発売された。各種番組などのコメンテーター・MCとしても活動しており、私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。

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