グルメ番組というものが、どうも性に合わない。一流料理人が調理した高級料理から路地裏のB級グルメまで、とにかく様々な食べ物を名だたるタレントや文化人たちがこぞって絶賛したり、時に厳しく非難したり、そういう飽食の国ならではの批評的な構図が卑しく見えてしまう。中でも「まずい」という台詞は、誰が発するにせよ、公共の電波では聞きたくない。人間はいつからそんな傲慢な存在になったのか。
また、「うまい」だの「まいうー」だの、そういった肯定的な台詞も、あんまり繰り返されると嫌悪感を抱いてしまう。人間の本能的な欲求である食欲というものは、それがゆえにどこか睡眠欲や性欲などと共通する部分があり、だから人間が食欲を剥き出しにする光景を見せつけられると、他人の性欲を眼前にしたかのような恥ずかしさ、あるいは低俗性を感じる。この世のあらゆる欲望は、基本的に内に秘めたるものであって、大衆に晒すものではない。丸々と肥えた上流階級風情がしたり顔でグルメを語るということは、表層的な気品を被っただけで、実は非常に下品な欲望露呈行為のひとつだと思う。
これは結婚生活にも通ずる話であり、夫が妻の手料理に対して「あーだ、こーだ」とイチャモンをつける様子がどうも気に食わない。僕の友人である某男性は、奥様が料理下手だということを今年6月に結婚して初めて知ったそうで、「おまえの料理はまずいから、もっと勉強しろ!」といった厳しい台詞を奥様に浴びせているという。
この話を聞いたとき、僕は奥様に対していたたまれない気持ちになった。確かに、妻が料理下手ということは家族にとって由々しき問題だろうが、それにしても言葉が辛辣すぎる。最近は「なんでもはっきり言うほうが、その人のためになる」という考え方が主流を占めつつあるが、それはきっと物事を是正する際の最終手段であり、是正対策の序盤で安直に使用されるべきではないのだろう。言葉の暴力によって深い傷を負う人間もいることを考えると、それが諸刃の剣にもなりうることを充分に考慮しなければならない。もし僕の妻に同じ台詞をぶつけたら、おそらく彼女は部屋から出てこなくなると思う。
それに、こういうダメ出しの類は夫婦間では逆効果になる危険性もはらんでいる。人間という生き物は、大人になればなるほど、あるいは間柄が親密になればなるほど、妙な自意識が邪魔をして相手からの注意を素直に受け入れられなくなる。だから、こういう厳しい台詞はかえって妻のヘソを曲げてしまうこともあるわけだ。
考えるに、こういうケースに陥った場合の夫は、まず自分の目的を明確化することが大切なのだ。そしてこの場合、夫の目的は妻に文句を垂れることではなく、妻の料理の腕前を上達させることであり、そのために必要なのは意識改革に他ならない。料理というものは、真剣に取り組めば誰だってある程度は上達するものなのだから、妻が料理をきちんと学ぼうという気持ちになってくれれば、つまり意識改革さえできれば、その目的は果たされたようなものだ。それなのに妻のヘソを曲げてしまっては何も始まらないだろう。
具体的には、妻に料理への愛着を抱いてもらうことが重要だ。現状ではあまり美味しくない料理であっても、夫が優しく褒めてあげることで、妻の気分は向上するだろう。
そして、そのうえで夫のほうから「自分が作ってほしい料理」を妻にリクエストするといい。それも肉ジャガやカレーライスといった定番料理ではなく、あえて妻が一度も作ったことがないであろう難解な、あるいはマニアックな料理を選択する。たとえば「君が作ったスペイン料理が食べたい」「本格的な中華を作ってくれたら嬉しい」などである。
こうすることで、妻がその料理のレシピを学ぼうとしてくれたら万々歳だ。本屋で料理本を購入したり、ネットで料理のレシピを調べたり、初めて作る料理だからこそ人間は一から学ぼうとするわけで、その結果の積み重ねが無意識の技術向上につながっていく。
さらにその情熱を消さぬよう、妻の姿勢をきちんと褒めてあげることも重要だ。食事の支度とは、妻が専業主婦であるなら、彼女にとって最大の仕事なのだから、それが報われたという充実感は何よりも活力になる。それはすべての仕事に共通する話だろう。
また、これは僕の知人の料理人が教えてくれた裏技だが、料理が下手な妻にあえて夫のほうから「料理を教えてくれない?」と頼んでみると、自然に彼女は料理を学び始めるという。なるほど、これは逆説的な真理のひとつかもしれない。人間は誰しも、他人に何かを教えるとなったら、まずは自分できっちり勉強しようとする。「他人に何かを教える」という行為には、「自分が学ぶ」という裏の意味も含まれているのだ。
要するに妻の手料理というものは、たとえそれがどんなにまずいものであっても、そう簡単に非難してはいけない。非難したところで料理の腕前が向上するとは限らず、ただ彼女の心を傷つけるだけに終わってしまうこともあるからだ。
それよりも、まずは作ってくれた気持ちに感謝して、文句を言わずに食べるほうが人間として美しい。そして、その後にゆっくり妻の料理に対する意識改革を自然な形で促してあげるといい。なんでもかんでも正直者である必要はないのだ。
<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち) : 小説家・エッセイスト。1976年大阪府出身。早稲田大学卒業。10月刊の最新長編「虎がにじんだ夕暮れ」の他、「神童チェリー」「雑草女に敵なし!」「SimpleHeart」「芸能人に学ぶビジネス力」など著書多数。中でも「雑草女に敵なし!」はコミカライズもされた。また、各種番組などのコメンテーター・MCとしても活動しており、私生活では愛妻・チーと愛犬・ポンポン丸と暮らすマイペースで偏屈な亭主。
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