NHKで2020年から不定期に放送されSNSでも話題を集めた番組『業界怪談 中の⼈だけ知っている』が、体験者たちに徹底追加取材し、より恐ろしくより不可思議なノンフィクションホラーとして、NHK出版が書籍化。その業界にいれば当たり前のように周囲の間で知られていたり、経験したりするような出来事でも、その外にいる人間には知る由もない、ときに不思議で、ときに身の毛もよだつ体験談から、とっておきの怪談2篇を試し読みでご紹介します。
今回は、リフォーム業界でのある怪談です。


【前回までのお話し】団地の一室のリフォームを請け負った「僕」は、依頼主の母娘からの度重なるクレームに悩まされていた。依頼の相談時には朗らかだったが工事が始まって以来様子がおかしくなった2人。スタッフの1人が僕に言う。「あの……、こういうこと言うの、どうかと思うんですけど」「ん? どうしたの?」「いる、って言ってます。そこに、誰か」

そこに、誰かいます(1)
そこに、誰かいます(2)

「そこに、誰かいます」(3) /島村明夫さん(仮名・リフォーム設計会社 経営)

視線だけで彼が示した先にあるのは、リビングの向かいにある和室だった。廊下を挟んでいるが、すべてのドアが開け放たれているので、畳が見える。リーダーは少し迷うそぶりを見せた後、和室が完全に見えなくなる場所まで僕と男の子を連れていった。
「彼、見えるんですよ……な?」
男の子は無言でうなずいた。
作業をしている様子を見ているかぎり、寡黙で律儀。冗談半分でそういうことを言いだしそうな子には見えなかった。
「何を見たの」
「……女の人が」
ぼそっと、彼は言った。
「髪の長い女の人が、和室のほうから首を傾げて、こっちを覗き込むようにして、じっと見ています」
「え、いまも?」
「はい。ずっと。だからもう……ちょっと、和室の掃除はいいんじゃないかなって」
鳥肌が立った。
僕はあたりを見回した。どこもかしこも、埃一つないくらいに片付いている。まだ文句を言われるかもしれないが、これ以上、僕たちにできることは何もないように思われた。
「帰ろう。終わりにしよう」
そう言って、僕は部下の女性に電話をかけた。
社用車は一台しかなく、会社で事務作業をしなくてはいけなかった彼女が、僕の送迎をする手はずになっていた。
「ごめん、予定より早く来てもらえるかな。スタッフが、やっぱりいるって言うんだ。なんていうか……まいっちゃって」
彼女はすぐに了解して、二十分もあれば到着できる、と言って電話を切った。
だが、待てど暮らせど彼女はやってこない。四十分が過ぎた頃、不安になって携帯電話にかけてみたが、何度鳴らしても出てくれない。
「僕たちの車で送りましょうか」
リーダーが言ってくれたけど、行き違いになっても困るので断った。
彼女から連絡がきたのは、最初に電話してから一時間ほど経った後だ。
「すみません、道でタイヤがバーストしてしまって、動けないんです。業者を呼んでどうにかしようと思ったんですけど、電話も繫がらなくて、身動きもとれなくて。迎えに行けません」
お祓いをしよう、と決めたのはこのときだ。

  • ※画像はイメージです

お寺を紹介してくれたのは、長く付きあいのあるベテラン職人のひとりだった。僕よりずっと年上で、何十年とこの業界で仕事をしている彼は、決して幽霊を信じたり、オカルトを好んだりするわけじゃない。
ただ彼は、「いるものはいる」ということを知っていた。
合理的には説明のつかないことがこの世では起こりうるのだということを、肌身で感じているのだ。
寺には、部下と二人で向かった。
樹齢何百年とありそうな巨木にかこまれた鬱蒼とした森の中、立派な門構えを抜けたとたん全身に寒気が走り、僕はガタガタと震えはじめた。見ると、隣で部下も真っ青な顔をして、両腕を抱えていた。
とても歩けるような状態ではなかった僕たちの前に、現れたのが住職だった。
あいかわらず震え続ける僕たちを誘導し、住職はお堂で話を聞いてくれた。笑い飛ばされるかと思ったけれど、住職は一切動じることなく耳を傾けていた。
「人智を超えた現象が起きていることは否定できません」
住職は静かに言った。あえて「祟り」や「霊」という言葉は使わない人だった。
「ただ、お見受けするに、どうやらいまはあなたたちのお心のほうに問題があるように思います。今日は私がお祓いをいたしますから、気持ちを新たにしてもう一度、明日、そのお客様に向きあってください」
護摩焚きのようなことをしてもらった、と思う。
あまりの体調の悪さに、細かいことは覚えていない。だが、お札を渡され「明日からはもう大丈夫ですよ」と言われたとき、少し身体が軽くなったのを感じていた。
とはいえ、大丈夫ですと言われても、何がどう大丈夫なのかわからず、部下と半信半疑のまま、帰路についた。

それから数日経って、今度こそ部屋を引き渡すという日がやってきた。
何を言われても頭を下げて納得してもらうしかないと、腹をくくっていた。しかし、驚くことに現場で会った母娘は、はじめて出会ったときと同じように、終始穏やかな笑みを浮かべていた。
「本当に、島村さんにはお世話になって」
そんなことを言われたのは、初めてだった。
「細かいところまで心配りしてくださって、感謝しています。お願いしてよかった」
ほっとするというより、度肝を抜かれた。
家にあがってから、一度も出されたことのないお茶を振るまわれたときは、逆に、恐怖で震え上がりそうだった。部下も、同じ顔をしていた。
「……すごいですね、お札の効果」
帰り際、彼女がぼそりとつぶやいた。
さらに後日、寺を紹介してくれた職人にも報告した。
いったいなんだったんですかね、と首を傾げていた僕に、彼は腕を組んで、考え込むようにしてから言った。
「その女はたぶん、部屋じゃなくてお前に憑いていたんだな」
「え?」
「理由はわからないが、お前に執着していたんだ。だから、現場から離れられないよう、母娘を仕向けていたんじゃないか」
――腑に落ちるものが、あった。

クレーマーというのは、概してそういうところがある。文句を言うことで、誰かに相手をしてもらいたいと願っている人がときどきいるのだ。だから、どんなに誠意を尽くしても、合理的な解決法を提示しても、納得しようとしない。ただ自分のためにあたふたして、自分に会うために足を運んでくる、その姿を見たいのだから。
「お前に近づく女の存在がいやだから、母娘に対するあたりもよけい強くなっていたのかもしれん」
「つまり、部下が車で迎えにこられなかったのも」
「嫉妬だろうな」
たまったものじゃない、と思った。
だって僕は、その土地にも、女の人にも、なんの縁も因果もないというのに。
「よかったな、離れられて。お祓いしなきゃ、永遠にあの場所に縛りつけられていたかもしれないぞ」
因果はなくとも、執着される。
それが、人ならざるものなのだ。僕たちの常識なんて、きっと通用しない。
すべて終わったと思っていても、もしかしたらこの先も、また――。

葬儀業界の怪談を読む
コンセキノコスナ(1)
コンセキノコスナ(2)
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本連載は、 『業界怪談 中の人だけ知っている』より、一部を抜粋してご紹介しています。

『業界怪談 中の人だけ知っている』(NHK出版)
編者:NHK『業界怪談 中の人だけ知っている』制作班

怪奇体験から垣間見える、現代社会の実像と歪み――。同書は、2020年からNHKで不定期に放送されている人気番組『業界怪談 中の人だけ知っている』のシリーズ1~シリーズ3から、番組の再現ドラマを参考に、体験者たちひとりひとりに徹底追加取材し、怪談小説として細部にまでこだわって編み上げた全16篇からなる一冊。番組のファンはもちろん、怪談愛好家やホラー好きの人も、リアリティあふれる各業界の怪談小説から、体験者たちの見たもの、聞いたものを⼀緒に感じてみてはいかがでしょうか。Amazonで好評発売中です。