ギリシャが背伸びして今日の危機の遠因を作ったのが「アテネ五輪」
ユーロ加盟と並んでもう一つ、ギリシャが背伸びして今日の危機の遠因を作ったのがアテネ五輪でした。ギリシャは近代五輪開催100年という節目の1996年大会に立候補しましたが、この時はアトランタ(米国)に敗れ、それから2大会後の2004年開催を果たしました。開催が決定したのが1997年。それから2001年のユーロ加盟を挟んで2004年のアテネ大会まではギリシャの絶頂期だったと言ってもいいでしょう。
アテネ五輪の開催が決まると、水泳競技場、野球場、室内競技場など新たな競技施設や関連施設が建設されたのをはじめ、2001年には新国際空港が開業、新空港とアテネ市内を結ぶ鉄道と地下鉄が拡張されるなどインフラ整備も進められました。郊外の高速道路網や大規模工業団地なども整備されました。EU加盟による金利の低下やEUからの補助金なども開発を促進しました。
余談ですが、地下鉄の建設工事中に古代ギリシャ時代の遺跡があちこちで発見され、それが工事の遅れと費用増加の一因になったそうです。地下鉄の多くの駅のコンコースや通路には、その時の出土品の数々が展示されています。地下鉄の駅がまるでミニ博物館のようで、それはそれでギリシャらしい光景を見せてくれています。
この結果、実質GDP(国内総生産)は五輪開催が決まった1997年以降は毎年3~4%台の成長が続き、特に五輪の前年2003年の成長率は6.6%に達しました。ユーロ加盟と五輪開催という2大イベントは未曽有の好景気をもたらし、当時の政府は「強いギリシャの復活」とのスローガンを掲げていました。
しかしそれは結局「背伸び」だったのです。五輪開催のための政府の支出は当初計画の2倍に膨れ上がり、約90億ユーロ(現在のレート換算で1兆2000億円強)、GDPの6%に達しました。これは関連施設建設費や開催費用などだけで、空港や地下鉄などインフラ整備は含まれていません。いかに五輪が過大な負担になったか、と同時に予算管理がいかにルーズだったかが分かります。
アテネ五輪に向けて財政拡大路線に転換し、財政赤字比率が再び急上昇
実はギリシャの財政赤字は1990年に入ってからは縮小傾向をたどっていました。ユーロ加盟に向けて財政赤字の削減に取り組んでいたからです。1990年の財政赤字の対GDP比は二ケタでしたが、99年には3.5%にまで低下していました。しかしアテネ五輪に向けて財政拡大路線に転換し、財政赤字比率は再び急上昇していったのでした。財政赤字拡大の原因がすべて五輪にあったというわけではありませんが、その大きなきっかけになったことは間違いありません。
五輪開催後は景気も落ち込みました。五輪開催年の2004年に5.0%だった実質GDP成長率は翌年の2005年に0.9%増と大幅に鈍化しました。その後、2006、2007年は持ち直したものの、2008年以降はマイナス成長に転落しました。
五輪の経済効果は一時的なもので終わり、逆に大きなツケ
こうして五輪の経済効果は一時的なもので終わり、逆に大きなツケを残してしまったのです。当時建設された多くの競技場はその後ほとんど使われることなく、一部は廃墟のようになっています。北島康介選手の2種目金メダル獲得や長嶋ジャパンなどアテネ五輪の感動を覚えている日本人は多いと思いますが、彼らが活躍した競技場に雑草が生い茂っているのを見た時は、何ともさびしい思いにさせられました。
複数の競技場がまとめて建設された「スポーツコンプレックス」に隣接する平地には広大な駐車場がありますが、私が立ち寄った時には一台の駐車車両もなく、人の姿も見当たりませんでした。その時タクシーの運転手が「五輪の頃がピークだったなあ」と思わずため息をついたのが印象的でした。
このように五輪関連施設を負の遺産としてしまったのは、背伸びして過大な投資を行ったという原因だけでなく、その後の運営にも問題があったように感じます。施設を有効に活用するための工夫、あるいは政策的な取り組みはあまり見られませんでした。非効率でルーズな同国の行政が負の遺産をより大きくしてしまったことは否定できません。
アテネにはこれを同じような光景がもう一つありました。旧空港跡地です。これは私の先行連載『経済ニュースの"ここがツボ"』(第36回など)で書きましたが、アテネ五輪に向けて2001年に新国際空港が開業したのに伴い、それまで使われていた旧空港は閉鎖され、ギリシャ政府はその跡地を民間企業に売却して再開発する方針を打ち出しました。
しかし、その後10年以上経った現在に至るまで手つかずで、滑走路など広大な敷地は雑草が生えたまま放置され空港ビルも荒れ放題です。近くに美しいエーゲ海が見え、市の中心部からも近いなど恵まれた立地条件、潜在的な可能性を持っているにもかかわらず、なんら活かすことなく無為に年月を過ごしてきたと言えます。
全てがこの調子で、経済成長のためにやれることはあったはずです。ユーロ加盟と五輪開催という2大イベントで最大限の背伸びをしながら、その後の経済政策は無策に等しかったと言っても過言ではないでしょう。
2020年に五輪開催を控える日本にとっても教訓
これは2020年に五輪開催を控える日本にとっても教訓とすべき点です。今の日本が五輪後に「経済無策」に陥るとは考えにくいですが、関連施設の五輪後の活用をどう進めるかは、大きな課題です。新国立競技場の問題に象徴されるように、少なくとも負の遺産ではなく、将来に活かせる遺産になるようにする必要があります。
そして五輪が「ピーク」になってはいけないということです。ギリシャには五輪後の成長戦略がなかったことが問題でした。日本は2020年以後も五輪効果が継続し、それが日本経済再生の軸になるような経済政策を推進することが必要でしょう。
(※岡田晃氏の人気連載『経済ニュースの"ここがツボ"』ギリシャ関連の解説記事は以下を参照)
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執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)
1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。