FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「FX為替相場史」を解説します。
この連載は3月から始まり、それからすぐにCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)問題が一気に深刻化しました。そして間もなく、感染予防のためにヒトとヒトとの接触を避ける「三密(密閉、密集、密接)回避」、さらには緊急事態宣言の下で外出の規制と、信じられないような展開となっていったわけです。
こういった中で、在宅時間が長くなったことから、平日の昼の時間帯にもFX取引をするケースが急増しているようです。そこで、そんな「巣ごもりFXトレーダー」の皆さんにも、1998年から始まり20年以上の時間が経過したFX時代の為替相場を速攻で学んでもらえるように、連載の総集編としてこれまで書いてきたことを整理してみました。
FXスタート直後、1米ドル=150円に迫る円安が起こった
FX(外国為替証拠金取引)が始まったのは1998年。前年から大手の証券会社や銀行の経営破綻が相次ぐなど、当時は日本経済悲観論の真っただ中にあり、1998年8月には1米ドル=147円まで米ドル高・円安となりました。今ではちょっと想像できないような円安だったんですね。
FXスタート直後、3営業日で約25円も米ドル/円は暴落した
1998年10月6~8日にかけて起こりました。1米ドル=135円程度から、たった3営業日で110円割れ寸前まで米ドル/円は大暴落となったのです。これは、FX開始以降で、最大の暴落相場です。
アベノミクスの主役、黒田日銀総裁は、通貨政策責任者時代に円高阻止に苦戦した
株高・円安が大きく進んだアベノミクス相場では、2度の金融緩和でマーケットの度肝を抜いた黒田日銀総裁こそ主役の存在だったでしょう。その黒田日銀総裁が、10年以上前に通貨政策の責任者である財務官に就任した直後は、円高阻止に大苦戦したのでした。
ITバブル崩壊の株暴落の中、「安全資産」円は130円超へ大幅円安となった
ITバブル崩壊の株暴落は、「究極のリスクオフ」といえるでしょう。「リスクオフなら安全資産の円は買い」が今の常識だと思いますが、ITバブル局面では円安が進行しました。しかも1米ドル=130円超の円安は、今のところ21世紀最大の円安となっています。
ITバブル崩壊、株暴落第二幕は日銀「利上げ」がトリガーとなった
ITバブル崩壊の株暴落スタートは、米ナスダック指数でみると2000年3月。それから5カ月後の2000年8月に、日銀はゼロ金利解除で小幅に利上げを行いました。バブル崩壊の株暴落の最中に利上げはありえないことのようですが、それは結果が分かっているからいえることで、当時はバブル崩壊との認識がなかったんですね。
ITバブル崩壊で、米ナスダック指数は1年もしないうちに半値以下に暴落した
ITバブルの株高ピークは、2000年3月の米ナスダック指数5,000ポイント。ところが、2000年末には2,500ポイント割れ。1年も経たずに半値以下になってしまう、これぞ「バブル」の崩壊ということですね。