FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「ITバブル時の株高」を解説します。
米ナスダック指数は、2000年3月10日、5,048ポイントを記録しました。終値ベースでは、結果的にこれがITバブルの株高の天井となりました。そして、この後から約1カ月で米ナスダック指数は3割もの暴落となったのです。
1カ月で3割以上の暴落って、凄いですよね。ただ、ナスダック指数はさらに下落を拡大、5月下旬にかけての2カ月半で、下落率を4割近くまで拡大して、ようやく暴落第一幕が一段落となったのです。
5年MAからのかい離率が示唆した株高の「異常」
それにしても、なぜナスダック指数は急に暴落に向かったのでしょうか。前回述べたように、Y2K(コンピューター2000年問題)も無事通過しました。しかしそれは緊急的な資金供給といった株高の拠り所も、肩透かしに終わったといった意味でもあります。それにもかかわらず続いたナスダック指数の上昇は、なぜ急に暴落へ向かったのか。
2000年3月から突然ITバブル崩壊の株暴落が始まった理由とは別に、その頃は株暴落がいつ始まってもおかしくない局面にあったのではないかということは、非常によく分かる気がします。
この連載で何度か使ってきた5年MA(移動平均線)からのかい離率を、米ナスダック指数にあてはめると、基本的に±50%の範囲内で推移してきたところが、2000年初めにはプラス150%以上に拡大していました。これを見たら、多くの人たちが、「やばっ、上がり過ぎ。バブルじゃないか!?」と思ったのではないでしょうか。
このように見ると、2000年3月にかけて5,000ポイントを上回ってきた動きは、異常な株高、つまり「バブル」の可能性が高く、その意味ではいつそれがはじけて、株暴落に向かってもおかしくない、そんな状況にあったのでしょう。 ただより重要なのは、ここで使った5年MAからのかい離率なんて、特別な情報でも何でもないということです。たとえ別のアプローチでも、このケースは「異常な株高」が示唆されていたことは少なくなかったと思います。
その割には、株暴落に転換すると、「驚き」として受け止められることが多かったのです。そして、この先株安が広がる中でも、バブル崩壊によるものではなくて、一時的と思っていたところ、予想以上の株安になった、といった受け止め方が基本となったようです。
私が申し上げたいのは、場を見る上で、多くの人が主観を諫め、客観的判断の重要性を理解しているはずなのに、「バブル」とされるような加熱や、熱狂相場になると、それは忘れられてしまう懸念があのではないかということです。
失礼ながら、そんな「罠」にはまってしまった代表例が日本銀行だったのかもしれません。すでに書いたように、1999年中のゼロ金利解除(=利上げ)ができなかった日銀は、2000年に入り、3月から世界的な株暴落となったものの、それが一段落し、反発が続いた同年8月に、いよいよゼロ金利解除を断行しました。
これは、ある意味でとても分かりやすい教訓だと思います。2000年3月から米ナスダック指数が主導する形で世界的な株暴落となりましたが、それは短期的な上がり過ぎの修正に伴う一時的な現象に過ぎない、そう思っていたからこそ、その後の株価反発局面で日銀は長く待たされたゼロ金利解除を断行したのでしょう。
ただしそれこそは、日銀には申し訳ありませんがそもそも「バブル崩壊」ということを知らない人がやりそうなことだと言えます。逆に言えば、日銀はバブル崩壊が始まっているという認識がなく「利上げ」を行い、無自覚のまま自身を、いよいよ大変な事態に追い込むことになってしまうのです。その具体的な話は、次回以降で。