FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「1998年に起こった大転換」を解説します。

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  • 天国から地獄となった1998年の出来事を解説

    天国から地獄となった1998年の出来事を解説

さて、1998年にFXがスタートすると、間もなく為替相場は1米ドル=150円を目指す米ドル高・円安から、一転して110円割れに迫る米ドル/円の暴落へ向かいました。FXが始まったばかりのこの相場は、「やっぱりFXって怖いよね」のような、ダーティ・イメージがついたのでしょうか?

それとも、まだ始まったばかりだから、高い米ドルを買うより、大きく下がった「バーゲン・セール」のように安く米ドルを買うといった、意外にしたたかな人もいたかもしれません。どちらにしても、FXが始まったばかりの頃の為替相場は、めったにないほど派手に大きく動くといった意味では、強烈な印象を残したでしょう。

楽観から悲観、天国から地獄となった1998年

それにしても、改めてなぜ、このFXが始まった年に、為替相場は円安から円高への大転換となったのか。それは、FXスタート当時の1998年は、実は米ドルはすでに記録的に上がり過ぎ(円は下がり過ぎ)だったことが大きかったと思います。米ドル/円の過去5年の平均、5年MA(移動平均線)からのかい離率は、1985年以降で見ると断トツの米ドル「上がり過ぎ」を示していました。

  • 【図表】米ドル/円の5年MAからのかい離率(1985~2010年)【図表】米ドル/円の5年MAからのかい離率(1985~2010年)

    【図表】米ドル/円の5年MAからのかい離率(1985~2010年)

そういった中で、この行き過ぎが修正される「きっかけ」は、以前紹介した1998年7月の「米国経済だけが繁栄のオアシスでいられるのか?」(by グリーンスパンFRB議長)といった発言の後から突如表面化してきたことであり、そこから米ドルの急落は一気に広がったのでしょう。

まずは、8月にロシアが自国通貨、ルーブルを突然切り下げます。そして、これは、金融市場の新たな展開にとっての重要な要因だったのです。

9月に入ると、大手ヘッジファンドの経営不安に関する噂が広がりました。それは根も葉もないことではなかったのですが、よりによってその当事者はLTCM(ロングターム・キャピタル・マネージメント)でした。

LTCMはノーベル経済学賞受賞の2名の学者が中心となって運営してきた、その意味では「負けない、不敗のヘッジファンド」であるはずでした。ところが、ロシア・ルーブル切り下げ等で、巨額の損失を抱え込んでしまったようだ―――、そんな観測が流れる中で、その不安は確かに相場にも反映されるところとなっていったのです。

大手ヘッジファンドLTCMの破綻。これに前後して、金融市場では信用不安が急拡大し、株価も急落。これに対して、グリーンスパンFRB議長は金利引き下げで対応しました。しかし、金融危機はさらに中南米にも波及し、遂に「中南米ショック」が起こりました。

1998年10月、ワシントンDC。4月と10月の年2回、IMF(国際通貨基金)など国際的な金融ネットワークの定例会議を行うことが慣例になっており、この年の10月も、国際金融のイベントが米国の首都であるワシントンDCで開かれました。そこでのメイン・スピーカーの1人は、もちろん「トップ・オブ・セントラルバンカー」、グリーンスパンFRB議長でした。

「モーニング。普通、こういう席ではグッド・モーニングというべきでしょう。ただ、今の私はとても“グッド”という気分にはなれない」。

世界経済は、楽観から悲観、より強い言葉を使うなら、天国から地獄へ、「豹変」が起こっていたのでしょう。その緊張感を示す発言として、私は上述のグリーンスパンFRB議長の「モーニング発言」がとても印象的に感じるのです。

それにしても、世界経済は「豹変」したのです。だから、為替相場も「豹変」したのでしょう。ましてや、すでに少し述べたように、そもそも米ドル/円は、記録的な「上がり過ぎ」の懸念があったのです。

米ドルの「上がり過ぎ」、それをもたらした「米国経済だけが繁栄のオアシス」といった状況の「豹変」。こういった中で、まだ始まったばかりのFXに、早速「FX史上最大暴落」が起こったのでしょう。