FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「FX元年の出来事」を解説します。
前回までに私は、2000年に入ってからITバブル崩壊の株暴落が始まる直前まで、米ドル/円の暴落が起こっていたと述べてきました。具体的には、1998年7月の1米ドル=147円から、2000年1月の101円まで、米ドル/円は下落が続いたのでした。
ところで、1998年とは、まさに個人投資家の為替取引、FX(外国為替証拠金取引)が始まった年でした。つまり、FXがスタートしてから間もなく、米ドル/円は約1年以上も暴落していたのです。一般的に、FXの投資家は、円より金利の高い外貨の買い志向が強いと考えられています。ところが、そんな外貨の「王様」のような米ドルが、FXが始まってから間もなくして大暴落となったのです。
その意味では、FXはまさに「大波乱の船出」だったわけですが、ITバブル崩壊「前夜」に何があったかについて、これから述べてみたいと思います。
なぜ記念すべきFX元年に「史上最悪の暴落」が起こったか?
FXは、1998年4月の外為法改正を受けて始まりましたが、本格的な取引がスタートしたのは10月頃からでした。ところが、そんなFXにとって記念すべき1998年10月に、米ドル/円は早速、「FX史上最大の暴落」となったのです。
1998年10月第2週、1米ドル=136円でスタートした米ドル/円は、一時110円割れ寸前まで、最大で25円程度もの大暴落となりました。暴落は、とくに10月6~8日の3営業日に集中、1日で10円程度もの暴落が連日繰り返されたのでした。凄いですよね、ちょっと引いちゃいますね。
と言いながら、この歴史的相場も私はリアルタイムで見ていました。本当に本当に、随分長い為替相場との付き合いになりました。
それはともかく、なぜFXはスタート直後にこんな大波乱相場に巻き込まれることとなったのか。それについては、もちろん始まったばかりのFXに責任はなかったと思います。世界経済や相場の転換期に、結果としてFXのスタートがちょうど重なってしまったということだと思います。では、その「世界経済や相場の転換期」とは?
これについて述べる上では、この名台詞が欠かせないと私は思います。米国の中央銀行、FRB(米連邦準備制度理事会)のトップであるFRB議長を当時務めており、「史上最高のFRB議長」との評価もあるA.グリーンスパン議長が語った次の一言。
「米国経済だけが繁栄のオアシスでいられるのか?」。
前にも書きましたが、このグリーンスパンFRB議長という人、名台詞が多いです。それが「疑問形」になるのも、もう一つの特徴のようです。たとえば、グリーンスパンFRB議長史上最高の名台詞は、もちろん、すでに紹介した1996年12月の「この株高は根拠なき熱狂なのか?」です。やっぱり、疑問形でしたよね。
グリーンスパン発言があったのが、1998年7月のことでした。この言葉から分かるように、当時、米国以外の日本や欧州などは経済的な苦境にありました
当時、世界経済における最大の問題は、1997~1998年にかけて展開したアジア通貨危機でした。アジア諸国の一つである日本は、通貨危機は起こりませんでしたが、1998年から1999年にかけて、大手証券や銀行の破綻が相次ぐなどの金融危機に向かいました。そういった中で、米国経済は「ニューエコノミー」と呼ばれる歴史的な長期景気回復局面の中にあったのです。
ただ、果たしてそれは続くのか? それについて語ったのが、上述のグリーンスパンFRB議長による「米国経済だけが繁栄のオアシスでいられるのか?」という言葉だったのです。そして、その懸念は、すぐに現実のものとなりました。このように、世界経済が急転換に向かい、それを受けて株式相場なども急転換に向かったことで、始まったばかりのFXが前提とする為替相場も激変に見舞われたということでしょう。