FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「超円高」大相場の振り返りを行います。
さて、まだFX(外国為替証拠金取引)がスタートする前の1990年代半ばに起こった1米ドル=100円を超える円高、「超円高」局面について書いてきました。「FX大相場の真実」という意味では「番外編」なので、軽めにしないとダメだと思っていたんですが、やはりそれはできず、結構長い連載になってしまいました。この話、個人的にとても「好き」なので。
米国が仕掛け、日本の政治体制が転換、そして米ドル危機
「超円高」大相場について、整理してみましょう。
「超円高」の米ドル安・円高は、ポスト冷戦を受け、米クリントン政権が日米貿易不均衡是正で円高容認政策をとったことがきっかけであることはすでにかなりよく理解されているでしょう。ただ、より重要だと思うのは、それは日本の政治体制の転換にも大きく影響することになったということです。
冷戦時代に作られた日米貿易不均衡、それを日本の冷戦時代の政治体制で是正することはできるのか。怒涛の進撃となった米ドル安・円高は、「超円高」の境目である1米ドル=100円で一旦止まりました。それは日本の冷戦下の政治体制、いわゆる「55年体制」が崩壊し、非自民連立政権が誕生したタイミングだったのです。
米政権が「撃ち方止め!」としたのか、それとも為替相場の自発的な反応だったのか。為替相場は、日本が貿易不均衡是正を自発的にできるのかという「お手並み拝見」に応じたかのように、「超円高」という象徴的な水準の目前で止まりました。為替相場はまるで「生き物」のように意思があったのか?
ただ、日本のポスト55年体制は迷走しました。そして約2年後の1994年半ばに、自社さ連立政権(自由民主党、日本社会党、新党さきがけによる連立政権)という形で、「55年体制」は復活しました。すると、その直後に米ドル/円は戦後初めて1米ドル=100円割れの「超円高」となったのです。
以上のように見ると、「超円高」が起こったのは、日本の政治による自発的な日米貿易不均衡是正は無理と判断した為替市場が、暴力的な是正に動いた結果だったということなのではないでしょうか。
このようにして日米貿易不均衡是正のための円高は、やがて米ドル安の面が強まり、米国にとっても困るような米ドル安になっていきました。これもいつものことであり、相場がいつまでも特定の誰かに都合のよい状況が続くわけではないのですね。 米国が仕掛けた円高は、やがて米国が困る米ドル安になっていったのです。
米ドル安・円高が日米ともに困るといった具合に、利害が一致すると、いよいよこれを止めようといったムーブメントが起こります。ただ、日本だけでなく、米国、そして世界が困るほどの相場になってくると、これは「稀な現象」であり、何十年に一度の構造変化受けたものなので、循環的な米ドル高・円安は期待できないといった意見も出てきます。
しかし、それこそが反転のタイミングなのですね。市場の暴力的な動きといった相場ですら無限ということではないんじゃないでしょうか。「超円高」反転は、「ミスター円」というヒーローの登場が重要な役割になりましたが(確かに重要ではありましたが)、それはあくまで「きっかけ」として重要だったということでしょう。
「超円高」という止まらない円高が終わると、一転して止まらない円安(米ドル高)が、日本経済悲観論や、米ITバブルをきっかけに広がっていきました。それこそは、為替相場がすこぶる循環的なものであることを再確認する出来事ではないでしょうか。
以上が、まだFXが始まる前ではありましたが、歴史的な為替相場となった「超円高」大相場について、私が「真実」と考えていることです。「そうだったのか!」、「FX(じゃない為替相場)って面白い!!」と思っていただけましたか?