FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「円高から円安へ一転した理由」を解説します。
1996年11月、米大統領選挙の結果が出た日、「ミスター円」、榊原大蔵省国際金融局長(現財務省国際局長)の発言をきっかけに米ドル/円は急反落(円高)しました。そして結果的に、それは「最後の円高」だったのです。「榊原発言」でも、1米ドル=110円を割れなかったことを確認すると、その後は脇目も降らない米ドル高・円安に向かうところとなったのです。
「止まらない円高」が「止まらない円安」へ一変
1997年に入ると、米ドル/円は一段と上昇、クリントン政権がスタートした時の水準を超えて、130円に迫る米ドル高・円安となりました。「この円高は止まらない、構造的なものだから」とされたところから、なぜ一転して「止まらない円安」となってきたのか。その一つの理由は、日本経済悲観論でした。
1997年頃から、日本経済への悲観論が浮上すると、それは円売り材料となっていきました。この悲観論は根も葉もないことではなく、1998年に入ると、大手の証券会社や銀行が破綻する中で、日本経済はデフレという、その後ももがき苦しむ経済状態に追い込まれていったのです。
こんなふうに見ると、あの1米ドル=100円を超えた円高、「超円高」とは一体何だったのかと、改めて思いますよね。あの「円高狂騒曲」とは、幻だったのか、言いたくないけれど「ほめ殺し」だったのかと。
こうして、「止まらない円高」への対策が期待されてから、ほんの1年余り過ぎた1997年11月には、日本の通貨当局は一転して「止まらない円安」対策での米ドル売り・円買い介入に出動するところとなったのです。
ところが、今度は介入しても円安が止まらなくなりました。1998年4月10日、財務省資料によると、日本の通貨当局は1日の介入額としては桁外れとなる2兆6,000億円もの米ドル売り・円買い介入に出動しました。しかし、それでも円高への反応は限られると、この年の夏にかけて米ドル高・円安は一気に150円に迫る動きとなったのです。
これもまた、為替相場なのですね。ほんの3年前、1995年に円高は止めようもなく、日本政府が日本の輸出業者に対する「アリバイ工作」のような円高阻止介入をやっているのも単なる時間稼ぎで、さらに70円、60円と米ドル安・円高が進むことは止めようのないことだ、「It’s strong yen,stupid!(円高は当然だろう、分からないのか!)」というような状況でした。ところが今や真逆の展開となり、「超円高」是正を託された「ミスター円」が、円安阻止、いわば円防衛に動くところとなっていたのです。
このような円を取り巻く環境の激変には、米ドル側の要因もあったのでしょう。前回でも述べたように、「マエストロ」とされ、米経済の守護神とされるほどの名FRB(米連邦準備制度理事会)議長であるグリーンスパン氏が「この株高は根拠なき熱狂なのか」とけん制したものの、株安への反応は限られると、いよいよ株価は一段高へ向かったのでした。後から振り返ると、それはITバブルと呼ばれバブルの株高への道につながる動きだったわけです。