FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「榊原氏と円高の動き」を解説します。

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この円高は止まらない「構造的円高」と呼ばれたのは一体何だったのかと思えるほど、戻る時には拍子抜けするほどアッサリと100円を回復しました。そして「超円高」を卒業した米ドル/円は、前回も書いたように、1996年は下がらないけど上がりもしない、そんな小動きが続きました。しかし小動きも永遠に続くわけではなく、やがて終わりが訪れます。そのきっかけを作ったのも、「ミスター円」だったのです。

バロンズ「クリントンから主役を奪った榊原局長」

1996年11月、米大統領選挙で現職のクリントン大統領の再選が決まった日、為替相場は大きく動きました。米ドル/円が急落したのです。そのきっかけが、「榊原発言」でした。

ある金融専門誌に、榊原大蔵省国際金融局長(現財務省国際局長)のインタビューが掲載されました。その中で榊原氏は、次のように述べたのでした。「何か勘違いがあるのではないか」「もう円安誘導なんてやっていない」「円高是正も終わりつつあるのではないか」。

これまでこのコラムを読んできた人もビックリするんじゃないでしょうか。えっ、榊原氏は「超円高」を是正する人、いわば「円安仕掛け人」だったんじゃないの? その人が「円安誘導はやっていない」「円高是正(円安)も終わりつつある」って、何この梯子を外した感じは!?

  • 【図表】米ドル/円の推移(1995~1996年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

    【図表】米ドル/円の推移(1995~1996年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

そんな為替市場の「心の声」を反映したように、その日1米ドル=114円台で推移していた米ドル/円は、ほんの数10分で111円台へ急落したのです。いずれにしても、この1995~1996年当時の為替市場は、円安も円高も「榊原次第」の様相だったのですね。これを象徴的に示したのが、世界の金融市場からリスペクトされる米有力株式専門誌「バロンズ」が次のように書いたことだったでしょう。

「今週の世界の主役は再選を果たしたクリントン大統領になるはずだった。しかしそのクリントンから主役を奪った人物がいた。日本の大蔵省・榊原局長だ」。

それにしても、世界中を驚かせた榊原氏の「豹変」。もちろん彼自身は「豹変」したつもりは全くなかったのでしょうが、為替市場の反応はいかにも「梯子を外された」といった感じでした。こういったことに対して、榊原氏本人はどう思っていたのでしょうか。

実は、この「榊原ショック」のようになった日は、日本で内閣改造が行われた日でもありました。当時、榊原局長の「ボス」だった大蔵大臣(現財務大臣)は、自社さ連立政権(自由民主党、日本社会党、新党さきがけによる連立政権)のため社会党出身の久保亘氏でした。榊原ショックが起こった日は、久保氏にとって「大蔵大臣、最後の日」でもあったのです。

私が、その後久保氏本人に取材したところ、その日のことをこのように述懐しました。

「あの日は、私の大蔵大臣最後の日だった。為替相場が大きく動いたものだから、榊原さんが飛んできましたよ。そして『私の不用意な発言でご迷惑をおかけしました』と言ってきた」。

要するに、榊原氏はその日のことを「不用意な発言」のせいだと、上司である大臣に対して詫びていたのです。ただ久保氏は、それを言葉通りには受け止めていませんでした。彼は、私の取材に対してこう説明しました。

「あんな頭のいい人が『不用意な発言』をするだろうか。だから私は、『為替・金融などの専門的なことはあなた達に任せているのだから、慎重にやってくれればそれでいい。評価は、後から自ずと歴史によって下されることになるでしょう』、そんなふうに言いました」。

日本経済にとっての「超円高」脱出劇に主導的役割を果たした「ミスター円」、榊原氏。その榊原氏が、米大統領選挙の結果が出た日に、円安けん制に動き、改めて世界の金融市場の主役になりました。ただそれを受けた円高は一時的なものでした。実は、世界の金融市場では、「ポスト超円高」の新たなムーブメントが動き出していたことが、徐々に明らかになっていくのでした。