FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「ミスター円・榊原英資氏」を解説します。

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戦後初めて、1米ドル=100円を超える円高である「超円高」となった相場は、これまで述べてきたように、1995年4月、G7(先進7カ国財務相会議)の「リバーサル合意」、つまり米ドル安を反転させるといった合意をきっかけに止まると、異色官僚の榊原英資氏の活躍などにより、本当に大反転となり、1996年にかけて1米ドル=100円以上に復帰するところとなったのです。

そんな「超円高」を退治した男、海千山千の世界中の投資家が「油断できない男」として、一種のリスペクトを抱いた男。そんな榊原さんに対して、世界的なメディアであるNYタイムズ紙は「ミスター円」といった称号をおくりました。

ちょっと待ってください。こんな表現、前にも使いましたよね。アベノミクスの主役、日銀の黒田総裁のところで。黒田総裁の場合は、世界的な経済紙、米ウォールストリート・ジャーナルが、「日本のバーナンキ」と称しました。

さて、この黒田さんと榊原さんは、同じ財務官僚で、とくに通貨政策の責任者である財務官ポストでは、まさに直系の先輩後輩。これはこれで、ちょっとした物語になりますが、それは後に取り上げるとして、今回は、待望の「超円高」是正後の「ミスター円」について述べてみたいと思います。

  • 【図表】米ドル/円の推移(1995~1996年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

    【図表】米ドル/円の推移(1995~1996年)(出所:リフィニティブ・データよりマネックス証券が作成)

ポスト超円高と米大統領選挙年アノマリー

「超円高」を、ある意味では意外に早く卒業し、1米ドル=100円以上に戻った米ドル/円でしたが、1996年に入り、下がると「榊原介入」があり、かといってどんどん上がる(米ドル高・円安)といった感じでもなく、前年とはうってかわっての小動きが続くところとなりました。

ただし、それこそはこれまで「トランプ・ラリー編」でも、「アベノミクス編」でも述べたように、4年に一度の米大統領選挙年特有の為替相場の値動きを示す「アノマリー」通りだったともいえるかもしれません。

米大統領選挙年の米ドル/円は、選挙までは方向感のない小動きが続くものの、選挙前後からとたんに一方向に大きく動き、年初来の米ドル高安値のどちらかを更新する、そのような論理的には説明できないものの、繰り返されてきたパターン。それを金融市場的には「アノマリー」と呼びますが、じつはこの1996年も、「アノマリー」で説明できる展開となったのです。

米ドル/円の一進一退の小動き、下がると「榊原介入」がありそう、では上がるかといえばそうでもない。そこで一部の有力投資家の間で信ぴょう性をもって意識されたのが「ベンツェン・シーリング」でした。

ベンツェンとは、米クリントン政権の初代財務長官の名前です。これまで述べてきたように、米クリントン政権はポスト冷戦での日米不均衡是正のために円高を求めました。米クリントン政権発足の1993年1月、1米ドル=125円程度から米ドル安・円高が拡大に向かいましたが、相場ですから一時的な反発もありました。当時のベンツェン財務長官がそれをけん制する発言をしたのが1米ドル=113円前後でした。じつは、これクリントン政権として円安許容限度の「秘密の目安」になっており、それが「ベンツェン・シーリング(天井)」であるとされたのです。

この情報の発信元は、ヘッジファンドご用達の有力情報筋とされました。1990年代後半は、ポリティカル・エコノミー、つまり政治と経済が密接に関連する時代で、その中で相場にインフルエンスな政治経済情報は強く期待されたのです。

さて、113円以上は「ベンツェン・シーリング」であり、一方100円割れの「超円高」再燃は「榊原介入」が監視している。この結果、4年に一度の米大統領選挙年である1996年の米ドル/円は小動きが続いたのです。しかし、そんな小動きに終止符を打ったのも、また「ミスター円」である榊原さんだったのです。