FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「社会党首班政権と『超円高』の関係」を解説します。

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前回も述べたように、1993年からスタートした米クリントン政権が、東西冷戦終了を受けて、政策優先度を経済に置き(クリントンの大統領選挙中の名台詞「It’s the economy, stupid!(経済が問題だろう。わからないのか!)」が象徴的ですね)、貿易不均衡是正で円高容認(っていうか円高要求だろう)政策をとったことで、米ドル安・円高はとてもシンプルに進みました。

ただ、さすがにというか、1米ドル=100円という大台割れを前にして一息つく動きとなりました。それは大台割れといった象徴的な事態に敬意を表したということか、そうではなく別の理由があったのか?

相場は生き物のようにテーマで動く!?

じつは、この1990年代半ばにかけて「超円高」が展開する局面は、日本の政治においても歴史的な転換点でした。そして、この当時の米ドル/円の重要な価格は、まさに日本の政治体制の重大転換とかなり密接に関係していた可能性があったのです。

たとえば、上述のように、1993年から急テンポで進んだ米ドル安・円高が、1米ドル=100円という大台割れ前でブレーキを踏んだのは、自民党一党独裁体制、いわゆる55年体制が崩壊し、非自民連立の細川内閣が誕生したタイミングでした。

  • 【図表】「超円高」局面の米ドル/円(1992~1998年)(出所:マネックストレーダーFX)

    【図表】「超円高」局面の米ドル/円(1992~1998年)(出所:マネックストレーダーFX)

そして、100円をついに割り「超円高」が始まったのは、1994年6月です。それは細川、羽田といった非自民連立政権が挫折し、ついに社会党首班の連立政権が誕生したタイミングでした。

このように、米ドル/円の1米ドル=100円といった象徴的水準を巡る攻防が、日本の政治史の重要局面と重なったのは偶然か、それとも何か意味があったのか。結論的に言うと、私は後者ではないかと考えてきました。

これまで見てきたように、当時の最大テーマは、ポスト冷戦での対外不均衡是正であったと言えます。では、それを55年体制と呼ばれる自民党一党独裁体制が長く続いた日本においてでできるのか。

当時、改革派vs守旧派といった対立軸が盛んに議論されました。ポスト冷戦の対外不均衡是正においても、基本的に冷戦下で恩恵のあった既得権益者、言い換えると守旧派の退場が必要ではないか。そう考えると、為替の円高と日本の政治体制が連動したのは偶然ではなかったかもしれません。

こうして、ポスト冷戦による対外不均衡是正のためとして始まった円高は、冷戦下の日本の政治体制を崩壊させ、そして歴史的な社会党首班の連立政権誕生となったタイミングで、それまで足踏みしていた1米ドル=100円を超える円高、「超円高」についに踏み出したのでした。

これまでの文脈からすると、1990年代前半に展開した日本の政治改革において誕生した社会党首班政権は(社会党系の方申し訳ありませんが)、自民党一党独裁体制同様の守旧派であり、貿易不均衡是正が期待できない、そのため金融市場が自ら暴力的に貿易不均衡是正を織り込む動きに向かった、それこそが「超円高」の本質だったのではないでしょうか。

相場なんて「藪の中」。芥川龍之介の小説、「藪の中」のように、答えは関わる人たちそれぞれにあり、「超円高」についてもおそらく同様でしょう。つまり、ある人は国が望んだからだと思い、ある人はチャート的なことだと思い、そして結果が合えば「俺の思った通り」となりそうです。しかし、終わったことよりも、それがこの先も使えるかどうかが本当は一番重要でしょう。

私は、これまで見てきたことからすると、相場は予想以上に、あたかも生命があるかのように、しっかり自身のテーマで動いている可能性があるのではないかと思っています。そうであれば、相場の先行き予想は、少々理屈っぽくなりますが、テーマの見極めがとても重要だと思うのです(だからこんな過去のことを丹念に書いているんですけどね)。

さて、それはともかく、ついに「超円高」時代に突入した日本。それからどう脱出したかについて、次回以降、ある「ヒーロー」の登場を中心に述べてみたい思います。