FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「円高阻止介入のタイミング」を解説します。
「リーマン・ショック」後の円高局面で、日本の通貨当局が円高阻止の米ドル買い・円売り介入に最初に出動したのは、財務省の資料によると2010年9月15日、1米ドル=80円といった当時の戦後円最高値(米ドル最安値)に急接近したタイミングでした。
ただし、それはある指標で見ると、円高阻止介入としては最も遅い出動だった可能性があったのです。
日本単独だから米ドル下がり過ぎを狙い巨額資金投入となった!?
図表は、米ドル/円の5年MA(移動平均線)からのかい離率に、日本の通貨当局である財務省の資料に基づき、米ドル買い・円売り介入をフューチャーしたものです。これを見ると、まずわかるのは、円高阻止の米ドル買い・円売り介入は、基本的に米ドル下がり過ぎ(円上がり過ぎ)局面で行われてきたということです。
これは、全く当たり前のことで、円高阻止介入は、円高行き過ぎ(円上がり過ぎ=米ドル下がり過ぎ)局面で行われるものです。そうでなければ過剰防衛として、国際的非難を浴びかねないでしょう。
ただそういった観点を踏まえても、米ドル/円の5年MAからのかい離率で見ると、リーマン・ショック後の円高阻止介入の初動は、結果的にかなり米ドル下がり過ぎ(=円上がり過ぎ)になったタイミングでした。つまり別の言い方をすると、経験的に米ドル買い・円売り介入出動のタイミングが最も遅かったと言えるでしょう。
1990年代半ばに起こった1米ドル=100円を超えた円高は「超円高」と呼ばれ、その意味で2010年以降それを超えた円高となったことを、私は「超超円高」と呼んでいますが、それに対する日本の通貨当局の円高阻止のタイミングが遅くなったのはなぜか? それは、米国との関係があったのではないでしょうか。
この2010~2011年にかけて、米国はリーマン・ショックを受けた「100年に一度の危機」への対策で、なお予断を許さない状況が続いていました。それに対する切り札の一つは、FRB(米連邦準備制度理事会)によるQE(量的緩和)でした。
米国の金融緩和は、基本的に米国の通貨である米ドルの下落をもたらす可能性があります。そして米ドル安の結果が円高です。ということは、米国の政策の結果としての円高は、それが困るものなら、日本が単独で止める以外にないでしょう。
2010~2011年の円高阻止介入は、まさに日本が単独で動かざるをえない局面だったでしょう。円高を止めるために、米国の通貨である米ドルを日本が買う(円を売る)ことを米国に黙認させるために、米国に政策失敗といった負い目があるかもしれない「リーマン・ショック記念日(リーマン・ブラザーズが破綻した日)」を最初の介入出動日に選んだと考えるのはうがちすぎでしょうか。
米金融緩和局面での米ドル安・円高の阻止へ米国が協力する可能性はほとんどありませんでした。そのため、日本単独で止めようとすると、介入金額が大きくなり、そしてより米ドル安・円高が行き過ぎた(米ドル下がり過ぎ・円上がり過ぎ)局面を狙ったことで、介入出動のタイミングが遅れたということではないでしょうか。そして介入は、結果的には成功と評価してよいのではないでしょうか。
1米ドル=75円という最安値で、日本の通貨当局は8兆円もの米ドルを購入しました。このことは2020年4月の執筆時点では、実質的には「最後の為替介入」(じつは、2011年11月に入ってからも数日少額の介入を続けました)となっています。そして、最安値の米ドルを、1回の介入額としては最大規模で購入したわけですから、投資成績といった観点でも、「最後で最高の介入」となっているわけです。
さて、ここまで「超超円高」局面について書いたので、次回からはFX(外国為替証拠金取引)開始前に起こった1990年代半ばにかけての「超円高」局面について書いてみたいと思います。