FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回から番外編「円高阻止の名勝負」を解説します。
「リーマン・ショック編」の最後に、リーマン・ショック後に起こった1米ドル=75円までの米ドル安・円高、「超円高」について書きました。伝統的に「円高過敏な国」日本では、円高阻止が大いに注目を集めてきました。そこでこれから、円高阻止を巡る「為替市場vs通貨当局」の名勝負をいくつか取り上げてみたいと思います。第1回は、前回からの続きで、1米ドル=75円、「超超円高」の攻防戦です。
1米ドル=80円近くまで介入「沈黙」が続いたのはなぜか?
1米ドル=100円を超えた米ドル安・円高は「超円高」と呼ばれました。そんな「超円高」は、リーマン・ショックに伴う「100年に一度の危機」の中での世界的な株安が一段落した後から、むしろ広がるところとなりました。
たとえば、米国の代表的な株価指数であるNYダウが2009年3月で大底を打ち、反発に転じました。そうした動きを尻目に、米ドル/円は2010年に入り、いよいよ1995年に記録した戦後の米ドル最安値、円最高値の1米ドル=80円を目指す展開となっていたのです。
こういった中で、「円高過敏な国」日本では、円高阻止策が次第に注目されてきました。その一つは、もちろん日本の通貨当局による米ドル買い・円売りの為替市場介入でした。しかし90円、そして85円と米ドル安・円高が進む中で、円高阻止介入は沈黙が続きました。
日本政府は、円高阻止に動く考えがあるのか? そんな声が上がり始めた中で、財務省資料によると、この局面における最初の米ドル買い・円売り介入実行となったのが、2010年9月15日でした。偶然かどうか悩ましいところですが、あの2008年9月15日、いわゆるリーマン・ブラザースの破綻から2年目のタイミングだったのです。
「あてつけですか?」とも言いたくなりそうなタイミングでしたが、それにしても、ここで注目されたのは米ドル買い・円売り介入の「額」でした。財務省資料によると、この2010年9月15日の介入額は、2兆1,249億円で、円売り介入額として、当時としては過去最大だったのです。
ここでの一つの観点は、「アリバイ工作」か、否かということがあったと思います。つまり国民の期待を受けて円高阻止をやっていますよといった、あくまでアリバイやポーズが目的で、本音は円高阻止の意志がない(できないと思っている)ということです。ただ、それなら過去最大の円売り介入までやる必要があったのか?
この2010年9月の為替介入にもかかわらず、米ドル/円の下落は続き、2011年3月11日に起きたあの悲惨な東日本大震災なども経て、いよいよ1995年に記録した戦後の円最高値(米ドル最安値)の1米ドル=80円を更新するところとなりました。
こういった中で、日本の通貨当局による米ドル買い・円売りの円高阻止介入は、財務省資料によると、東日本大震災の直後の2011年3月18日に6,925億円、そして2011年8月4日に4兆5,129億円といった具合に、回数的にはきわめて限られ、一方で金額的には逆に過去の実績を超えていったのでした。
そして、2011年10月31日、この日はこれまでのところ、米ドルに対して円が75円台で戦後最高値を記録した日、別な言い方をすると、対円で米ドルが戦後最安値を記録した日でした。財務省資料によると、その日に日本の通貨当局である財務省は、8兆円という過去最大の為替市場介入として、米ドル買い・円売りを行ったとされています。
結果として、これまでの米ドル最安値で、8兆円といった最大規模の為替介入額で米ドルを購入した可能性があったわけです。凄いですね。
それにしても、2010年以降の為替介入は、2011年3月の東日本大震災後の1回を除くと、実質的には3回(2010年9月15日、2011年8月4日、同10月31日)だけでしたが、その米ドル買い介入額は、歴代トップ3でした。そんな巨額の米ドル買いは、結果的には、きわめて安い米ドルを購入したのですから、投資やトレードといった観点でも大正解だったということになりそうです。本当に当局? じつは投機筋でもいける?それは次回以降で。