FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。為替相場分析の専門家がFXの歴史を分かりやすく謎解きます。今回は「マリオ・ドラギ氏」を解説します。
「ユーロを守るためなら何でもやる。ビリーブ・ミー、私を信じてくれ」
これこそ、「ドラギ・マジック」を代表する台詞でしょう。この台詞通りに、ECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁は欧州債務危機から次第に下落に歯止めがかからなくなってきたユーロを反転させることに成功し、そして世界中のマーケットから、リスペクトされる存在となったのでした。それにしても、本当にドラマの台詞のようにカッコよくて、私も個人的に大好きな言葉なのです。
ユーロを守った男
これまでご紹介してきたアベノミクス相場(円安・株高)が始まったのは2012年11月頃からです。それまで数年間にわたって為替市場のメイン・テーマの一つとなっていたのが欧州債務危機(ユーロ危機)でした。これからお話しするのは、それを「解決した男」、ECBのトップを8年務めたマリオ・ドラギ氏が主役を演じた欧州統一通貨、ユーロの大相場についてです。
ただ最初に言っておきますが、今だからこそ、欧州債務危機はドラギ総裁の活躍などにより解決されたといえますが、当時は最後の最後まで、解決は極めて困難であり、とくにドラギ総裁では無理だろうと思われていたのです。そんな一般的には困難と思われていた欧州債務危機を解決したからこそ、「ドラギ・マジック」とされたことも、決して大袈裟ではなかったでしょう。
欧州債務危機は、2009年10月のギリシャの政権交代を受けて、同国の財政赤字がそれまで公表されていた数字よりもはるかに大きいといった、いわば国家の「粉飾決算」が明らかになったことが発端でした。当初はギリシャ危機のみでしたが、その後、アイルランドやポルトガル、スペイン、イタリアなどにも波及、「欧州ソブリン危機」や「ユーロ危機」とも呼ばれていくところとなりました。
当時のマーケットでは、債務問題の中心となった、ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペインの頭文字から「PIIGS」との言葉も注目を集めるところとなったのです。
ではこういった中で、欧州統一通貨ユーロはどのように動いたかといえば、2009年から2012年にかけて1ユーロ=1.2ドルから1.5ドルの間を往来した形なりました。米ドル/円の感覚でいうと、1ドル=120~150円のレンジで往来したといった感じです。
欧州債務危機といいながら、常に下落していたということではなかったのですが、それにしてもかなり大きく変動し、そして欧州債務危機がクライマックスに向かった2012年はさすがにユーロも急落、まさに「ユーロ危機」の様相を呈したのです。
そんな崩壊寸前まで追い込まれたユーロを守ったのがECB第3代総裁のマリオ・ドラギ氏でした。この文章の最初に引用したのは、ユーロがいよいよ数年来の安値だった1.2ドル割れ寸前まで下落した2012年7月のドラギ総裁の発言です。
「ユーロを守るためなら何でもやる。ビリーブ・ミー、私を信じてくれ」
この発言があったのは2012年7月26日。その前日までに1.20ドル割れ寸前まで下落していたユーロ/米ドルは、この日に1.23ドルまで急反発しました。結果的には、まさにこの2012年7月26日のドラギ総裁発言を境に、ユーロ/米ドルは1.20ドルを割れずに底打ち、反発に向かっていくところとなったのです。
当時、一般的には欧州債務危機の解決は極めて困難であり、従ってユーロを守ることも難しいと思われていた中で、それを実現したドラギ総裁の手腕は、「ドラギ・マジック」と呼ばれました。では次回からいよいよ、そんな「ドラギ・マジック」の謎解きを行っていきたいと思います。推理ドラマ的にいうなら、「犯人はお前だ!!」みたいな感じで。