FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。為替相場分析の専門家がFXの歴史を分かりやすく謎解きます。今回は「為替相場」について紹介します。
2001年9月11日といえば、「セプテンバー・イレブン」。あの悲惨な米同時多発テロ事件が起こった日です。この頃、1ドル=120円近辺で推移していた米ドル/円は、NYマンハッタンの超高層ビルに航空機が衝突する悪夢のような報道映像さながら徐々に崩れていきました。すると、米ドルを守るべく米国の通貨当局が米ドル買いの市場介入に出動、そしてそれを援護するべく、日本なども米ドル買いの市場介入に参入し(このようなことを協調介入と言います)、何とか115円で米ドルも下げ止まりました。
そんな米ドル/円が、11月頃には何とか120円台を回復するところまで戻ってきました。そんな時、ある金融専門紙の記事が為替市場で注目を集めたのです。内容は、「財務省が円安(米ドル高)は135円ぐらいまで進んでもおかしくないと言っている」というものでした。
前回書いたように、それから約10年後には、16兆円以上の円売り介入に出動しても円高を中々止められず、ましてや円安への誘導などできなかった財務省が、市場介入といったお金も使わず、口先だけで「円安になる」と予想して本当に円安になるんだったら随分楽なものですが、本当にそうなったのです。
体制・組織防衛で「隠し技」を使った2001年のケース
米ドル/円は、2001年12月には125円を超えて、さらに2002年になると130円さえも上回り、最終的には本当に135円まで米ドル高・円安となったのです。財務省の為替予想は、見事「ホール・イン・ワン」のような結果となったのですから、「本当にたまには為替相場のコントロールも可能なのか!?」と思ってしまいますね。
それにしても、通貨当局の財務省が、非公式とはいえ為替相場を予想し、いかにも口先で円安への誘導を行ったような動きとなったのは異例なことですが、なぜそんなことをしたのか? それには、こんな裏事情があったのではないでしょうか。
この頃は、2000年から始まったITバブル崩壊で株安が続いている途中でした。そういった中で、日銀は2001年1月から政策金利をゼロまで低下させるゼロ金利政策と、そしてそれ以上の利下げはできなくなったことから、債券などを購入し資金を供給するといった量的緩和政策に踏み切っていました。ただそれでも景気の悪化と株安は止まらない。そこで新たな対策として浮上したのが外国債券購入策でした。
日銀が国内の債券を購入し資金供給するだけでなく、新たに米国など外国の債券も購入対象とする。これは、外国為替市場で米ドルなど外貨買い・円売りも発生するため円安へ誘導する一石二鳥の効果が期待できる―――。
ただ為替・通貨政策は財務省の専管事項。日銀が大量に外国通貨を購入することは、その専管事項を侵されかねないとして、財務省は警戒していたようです。ではどうやったら外債購入策を阻止できるか。先に円安(外貨高)になれば、割高な外貨購入は不合理になるだろう―――。
以上が、2001年冬に、財務省が異例の「口先介入」による円安誘導に動き、それを見事成功させた裏事情だったのではないでしょうか。そしてこんな私の「謎解き」からすると、「為替相場もたまにはコントロールできる」という結論になるのではないかと思います。
アベノミクス円安の幕引きに黒田総裁がなぜ関わったかといったことから、「為替相場もたまにはコントロールできる」ということを説明してきましたが、黒田総裁のケースは、円安への国際的批判拡大の火消し、そしてこの2001年のケースは財務省の専管事項の防衛といった具合に、どうやら体制・組織防衛が理由になると「相場のコントロール」といった隠し技を使ってくることはあるのでしょうね。